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まあさん 藤田雅弘
かめネットと私
私が、かめネットに入ったのは、PCを購入して一月ほど経った頃でした。
私は生まれて直ぐに罹った重い病気の後遺症で、手足を始め、ほぼ全身に軽くない傷害が現れました。 その上に全身にわたる強い緊張と不随意運動を緩和する薬が習慣性を帯び、処方により量を増やしたり、さらに強い薬に変えた影響で次第に中毒症状を呈し、また当時、運の悪いことに良くないトラブルに巻き込まれ、十代の半ば頃は一時、命もあぶなくなりました。
何とか助かったものの、以前は自力歩行で相当動けていたものが、殆ど動けなくなり、以来二十数年、自宅で寝たり起きたりの生活を余儀なくされています。
その間、何とか状況を改善しようと努め、高校も通信制のコースへ入ったりもしましたが、なにしろ病状が極端に悪化したまま思うように快復せず、継続することすら困難でした。身体的な苦痛も大きなものでしたが、精神的な、それは前者に勝るとも劣らないものでした。
以前は同じクラスで、机を並べいていた者が、ハンディの軽い者はどんどん進学し就職し、結婚し子供に恵まれるなど順調に人生を歩んでいます。 それに重い者でも私ほど状況が悪化した者はいません。
自力ではどうにもならず、聞きたくなくても、消息は折に触れて耳に入ってきます。ただ耐えるしかないのは並大抵の苦痛ではありません。 私は決して優等生ではありませんでしたが、やはり筆舌に尽くせない精神的苦痛が続きました。
生きること自体が、いやになった時も一度ではありませんでした。 現在も基本的に状況は変わっていません。 確かに現在は最悪の時期に比べれば、ある程度は改善してますが、原状回復にさえ、ほど遠い状況です。
随分、精神的にも苦しみましたが、今はあまり考えずに自分に出きることを探して一生懸命頑張っていこうと言う気持ちです。
私がパソコンを始めた経緯について書きます。 具合が悪くなる以前も手に障碍があったので字はかなり下手でしたが、悪化してからは、文字の方も殆ど書けなくなってしまいました。
当初は家の者に代筆してもらっていましたが、私のような者でも手紙ぐらいは書く用事もあるので少し落ち着いた頃、当時は未だPCや一般向けのワープロはありませんでしたので、電動タイプライター(ひらがなのみ)を購入しました。
当時は、これを扱うのも一苦労でしたが、それでも自力で人に読んでもらえる文を書ける事は、私にとっては喜びでした。 しかし文字のサイズが小さく、日本語はひらがなだけでは、かえって読みづらいという短所は、如何ともしがたいものがありました。
七〜八年が過ぎた頃、小型のワープロが出て来ました。 価格も手ごろだったので、直ぐ購入しました。 そのワープロは、今からすれば比較にならないほどのスペック(ディスプレイは一行、最高全角12文字、漢字もJISの第一水準のみ、FDDはオプションなどなど)でしたが、とにかく漢字交じりの文が書けたのには率直に感動しました。
その後は、何台かの本格的なワープロを購入しました。 私なりに何かできる事はないかと聞いたりしましたが、やはり依然、体調が優れず、特に上肢の障碍のため入力が非常に遅く、また上記のような理由で正規の教育を受けられなくなったため見つける事は困難でした。
一昨年の春頃だったと思いますが、TVのニュースで音声入力のパソコンソフトの話題を取り上げていました。 私は多少の言語障碍もありましたが、あるいはこれなら今よりもスムーズに入力できるかも知れないと思いました。
そんな時、新聞広告でパソコンボランティアの本を見かけました。 私は、新聞などで、ほしい本があると書店に在る事の方が少ないので、その都度、書店に取り寄せてもらうように頼んでいます。
この時も、いつもの書店にたのみました。 半月ほどで届き早速、読み始めました。 その本には、様々な活動が紹介されていました。 私の健康を含めた状態が依然、良くないものだったので、直ぐに何か見つかると言うものではないと思いましたが、取りあえず巻末に記されていた東京の中央団体に問い合わせる事にしました。
十日ほどして、その団体から電話がかかってきました。 私は全身にわたる強い緊張や不随意運動、言語障碍などで、電話の応対は、かなり苦手です。実際、その時も上記の理由で息すら切れ切れで相当聞きづらかったと思いますが、担当してくれた若い女性の方は辛抱強く説明してくれました。
それによると、静岡にも同様の団体があり近い方が良いだろうと言う事で静岡の方へ書類を回してくれるという事だった。 私も異論はなかったのでお願いしました。
少し日にちは掛かかりましたが、ちょうど私の誕生日の七月一日の夜、電話がありました。吉田町に住むボランティアのIさんでした、 下旬に来てくれる言う事でした。
初めて来てくれるIさんは、勿論我が家を知らないので、私は地図を作製して郵送する事にしました。 地図などは作った事はなかったが、当時使用していたワープロ機で作成しました。斜線なども入れ自分なりに一生懸命作成したが、あまり分かりやすいものではなかったと思います。
おりから行われていた参議院選の開票速報を聞きながら仕上げたのを覚えています。
Iさんが初めて来られたのは、Windows98が発売された翌日でした。 Iさんは自分のノートパソコンを持ってきてくださり、音声入力を見せてくれましたが、夏のことで部屋のエアコンの音がうるさく、あまり上手くいきませんでした。
その時は、PC一般について訪ねました。 私は、それまで上記のように、数台のワープロ機を自分なりにつかってきたのでPCも、ほぼ同様に使えるものと楽観的に思い込んでいました。
この予想が、かなり間違いだったことが、使い始めてから分かりました。 この時、見せてもらったメールの中に「かめネット」の配信があり、その中の相良のS氏の名前を見つけた時には驚きました。
彼は小学校の半ばから中学の始めに掛けての同級生でした。 当時は施設の部屋も数年間、同じでしたから、勿論旧知でしたが私が施設を出てからは連絡もなくなり、クラス会などで何度か会っただけでした。
Iさんも、それを聞いて驚いていたようでした。
その日の最後に、初めてPCを購入するとしたら、どういった店で購入したら良いかと質問しました。 Iさんは暫く考えて自身も良く利用するという藤枝の専門店を教えてもらいました。
私は外出するのも一苦労なので、暫くして父に行ってもらい主要数社のカタログを受け取って来てもらった。 音声入力も店の話では、当時は必ずしも十分ではなく、これから質も向上するだろうからと言う事で暫く様子を見ることにした。
しかし、音声入力ソフトを使用する場合、選択するPCのスペック(基本性能)としては、メモリーが「64MB以上」は必要と聞いたので、それを大きな選択の基準に据えた。
その頃から、PC(デスクトップ型)も液晶が出て来ていたが、未だ同スペックでは価格面でかなりな差があり、その他、バンドルされたソフトなどを勘案し、大手N社のCRT(ブラウン管)デスクトップ機に絞り込んだ。
Iさんの意見も聞こうと思い連絡したが。Iさんも勤めがあるため、その間、前記のように、Win98が出たばかりだったので、その初心者向けの解説書を読んで予習しました。
一通り読んだ感じでは、それほどワープロ機の操作と差があるようには思えなかった。正直、甘い見通しだった。
八月の半ば過ぎ頃、再びIさんが来てくれました。 PCについては異論はなかったが、私はプリンターについては、PC本体とは別の大手メーカーから売り出されたばかりのスキャナーと一体型の製品を希望しました。
なぜスキャナーにこだわったかというと具合が悪くなって相当長期化していたので知人などと直接会う機会も少なくなっていました。 中には、20年以上、会わない人もおり、そんな人に最近の写真をワープロ機のスキャナーで写して送り喜ばれていたからである。
その他、一体型なら使いやすく場所を取らないと言う予測もあった。 Iさんは、性能なら、もっと上のものがあると言ってくれたが、予定通り購入しました。
しかし、これもアフターサービスの問題などで失望する事になる。
その日は、Iさんは父に藤枝の専門店まで同行してくれました。 あいにく、希望のPC本体はなかったが、プリンター(スキャナー)はあったので、本体を注文してプリンタだけ、先に購入しました。
一週間ほどで連絡があり受け取って、その日中に組み立ててもらい、翌日から使い始めたが、とにかく最初の設定から難航した。 マウスが使えないのである。
私は手にかなりハンディがあるので、二台目のワープロ機の時にオプションのマウスを求めたが、殆ど使えなかった、その次のワープロ機は電子ペン操作のものにしたくらいである。
ワープロ機はマウスや代用の電子ペンがなくても大体使えるが、パソコンはマウスがなければ使えない。 Windowsには、「ユーザ補助」と言う身障者の操作補助の機能が付いている事は知っていたが、それに行くまでの初期設定でもたついた。
とにかくマウスポインターを目的の場所に安定させることが出来ないので、やむなく家の者に、その部分の操作だけたのんだ。 しかし、家の者もマウスにふれるのは初めてなので、これもスムーズには行かなかった。
とにかく初期設定は済み、「ユーザ補助」も有効にしたが、予想外に操作は難しかった。 ワープロソフトの入力ひとつをとっても、IME(日本語文字入力システム)の設定や使用法に不慣れで、一通り使えるようになるまで数日かかった。
ワープロ機には、IMEなどはないし、デフォルト(購入時の初期設定)では「かな入力」なのに対して、PCのIMEは「ローマ字変換」になっていたり、漢字変換の操作もマニュアルではスペースキーを使うなど覚えるだけで一苦労だった。
なまじワープロ機に慣れていたのが良くなかったのかも知れない。 それ以上に少し操作を間違えたりすると、フリーズし動かなくなったりしたのには、ほとほと難儀した。
一週間ほどは、毎日、操作の練習が夜、終わると疲れ切って寝床に入ったのを覚えている。 購入したパソコンには、音声入力のソフトも付いてきましたが、やはり発音が良くないためか、半分ほどしか受け付けてくれませんでした。
次は、いよいよインターネットだが、私自身も良く知らず家族に説明するのに苦労しました。 PCもインターネットも確かな展望などは在りませんでしたが、自分に出来ることを探して出来れば仕事にならないかと考えていましたし、始めに問い合わせた東京の団体の方の説明でも何かを始めるならインターネットは必須だとの説明を受けた。
しかし、家の者には確実な見通しもなく、また弟の知人の話として多額の費用が掛かると聞き、話は相当難航した。 後で人から聞いた話によると、インターネットが始まった当初は確かに多額の費用が掛かり、月数万と言うケースもあったようだが、既に当時、私の知人の中には何人も始めている人がおり、どう考えても、そんな費用の掛かることだとは思えなかった。
Iさんが再び来られた時に伺ったところ、無制限で年二万円のところがあると。しかも、そこは身障者割引があり、半額で良いと聞き非常に驚いた。 私もある程度は掛かると思っていたので、その話を聞いた時、一瞬、月一万の聞き違えではないかと思ったほどだった。
私は当初、最大手のプロバイダを想定していたが、そこでも一通りは出来るようなので、大手独自のサービスは難しいものの、そこに決める事にした。
ようやく概ね家族の理解を得られたが、まだ細かなところで不明な点があったので、九月の半ば過ぎ頃、もう一度来てもらう事にした。 その時は、元同級生のSさんも一緒だった。
PCの操作の方は悪戦苦闘が続いていたものの一通り使えるようになっていたので、インターネット(プロバイダ)の細かな質問をした。 そのプロバイダへ入会の案内などを取り寄せ、早速申し込んだ。
一週間弱で入会の通知が届いた、 それまで、PCの置いてある部屋には電話回線が引いてなかったので、奥の電話回線(我が家は一回線だが電話は数台ある)の端子が二股だったので、そこから引く工事をしてもらい早速設定に取りかかった。
私が入ったプロバイダからは入会の通知とともに、フロッピーに入ったダイヤルアップ(通信)の簡易設定ソフトが付いてきた。細かな部分が始めから入っているので、自分のIDやパスワードを入力し、最寄りのAPを指定するぐらいで設定は出来た。
しかし、アプリケーションソフト特にメールソフトの設定が難航した。 PCのマニュアル通りに行ったが、マニュアルはメーカーのプロバイダを基準に説明されているので、私の環境と微妙に合わないのである。
何とか繋がるものの失敗も多く自分で調整を試みたところ、三日目からは殆ど繋がらなくなってしまった。 何度、入力しても、IDとパスワードの入力を求めるダイアログボックスが出てくる。
四〜五日目に仕方がないのでプロバイダに電話で問い合わせた。 その説明を参考にチェックし直したところ、接続のID、バスワードとメールの、それを求めるダイアログボックスの形状が酷似していたために混同して入力してしまったらしいことが分かり、設定をすべて最初からやり直して、ようやく正常に繋がるようになった。
この間、Iさんにはインターネットを始めた報告をしたが、次第に通信が不安定になってきたので、多忙なIさんを煩わせることになってしまった。
そのような次第で、通信もようやく安定して出来るようになったので、Iさんに教えられた通りの、かめネットの入会コマンド(英文)を送信した。 私は、PCを始める前に、初心者向けの入門書を何冊か読んだだけだったので、インターネットや電子メールの事自体が良く分かっておらず、かめネットのような「メーリングリスト」については殆ど知識がなかった。
E-Mailが、郵便局の私書箱のようなシステムだというくらいの認識はあったが、果たして「メーリングリスト」は、メンバーが投稿したメールが、すぐに投稿者本人を含むすべてのメンバーに配信されるらしいとは思っていたが、それがサーバーの自動処理で行われるのか、誰かが手動で割り振っているのかと思うほど無理解であった。
コマンドを送信したものの自信は全くなかったので、数時間後、確認のために受信をしてみたところ、いきなり12通も入っていたのには驚いた。 現在は日によっては殆どないような日もあるが、その頃は日に大体、二十通以上はあったように思う。
メールの多さに暫く驚いていたのを覚えている。 それまでの、約一週間は、Iさんとの何回かの、やりとりしかなかったからなおさらである。 Iさんから自己紹介のメールを送っておくように言われていたので、翌日の朝までに、一通りの自己紹介のメールを書き上げ送信した。
私は上記のように、長く体調が優れず、普段外出する機会は、あまりなく、人と接する事も極端に少なくなっていたので、かめネットが、私と一般社会をつなぐ「窓」のようになった。
メンバーの方々は皆さん私を快く受け入れてくれた。 インターネットは相手が分からないので、難しい面もあるが反面、入って行き易い面もある。
日本では、まだまだ社会の閉鎖性というか身障者に対する偏見もあり、また身障者の側でも勇気が少ない面もあり、なかなか社会参加が進まない状況がある。
私が受けた感じは、ごく自然にメールのやりとりをしているという印象だった。 勿論、なにからなにまでお互いが理解し合うのは大変難しいことですが、実社会の経験のほとんどない私にとっては毎日のメールが、この上ない新鮮な思いがしました。
実際、メンバーの中には身障者施設の医師、養護学校の教師、家族に障碍者がいる方などもおられますが、大半は、まったくのボランティアの方です。
普段なかなか外出する機会のない私にとっては。非常な社会勉強になりましたが、私にとって何よりも助けられたのは、PC(パソコン)やインターネット通信の事です。
一通りは、扱えるようになったものの今でもそうですが、分からない部分が圧倒的に多く、困る事も度々でした。 もちろん、いつも完璧ではありませんが、大体どなたかが懇切なアドバイスを答えてくれました。
立場の違いは仕方ありませんが、私の場合は特に一方的にお世話になりっぱなしのような感じです。 その上、私は何か話題があると直ぐ割り込んで加わり、ずいぶん勝手な事を書いているので、かなり顰蹙を買っているのではないかと思っています。
ML(かめネットのようなメーリングリスト)は、メールのやりとりが通常ですが、年に何回かは「オフ」と言う会で会う事があります。 ちょうど私が入って数週間後に相良でオフがあり、参加しました。
IさんとSさん以外は殆ど初対面だったが、学年が何年か下の榛原のMさんがいた。 メールの氏名欄の名前に何か引っかかるものがあったが、学年も施設の部屋も違い、二十数年、会っていなかったため実際会うまで思い出せなかった。
他の初対面の人はメールのイメージとかなり違っている人もいた。 「文は人なり」と言うが、やはりメールの文だけで正確に人をイメージするのは難しい。
会は非常に楽しく直接会えていろいろ聞けたり話せたので大変有意義だった。
私は、この数年比較的体調が安定していることもあり身障者団体の旅行に何回か参加しました。 それまでは、知っていたのは殆どが自分のように小さい時から身体が不自由な人ばかりでしたが、この旅行の参加者の中には、五十代六十代で卒中などにかかり動けなくなり奥さんなどに車椅子を押してもらって参加した方が多かった事には正直驚きました。もちろん元は皆さん健常な人たちです。
知識には有っても実際に間近に接すると、自分の親の年代ですから或る種、非常にショックでした。 同じ障碍でも、一定期間、健常であった人が障害(後遺症)を持つとショックでなかなか立ち直れないと言う話を聞いていましたが、皆さん感じの良い方ばかりで、逆に教えられるところも少なくありませんでした。
かめネットでも、私のような四肢麻痺ばかりでなく、視覚や聴覚にハンディを持った方もおられ、私のこれまでの交際は、主に手足にハンディを持った方ばかりだったので、また学ぶところが大きいと思っています。
やはり、何らかの身体的ハンディ(特に私のような在宅で自力外出が困難な者は)世間が狭くなりがちで、仲間を求めようにも、それさえ実際には難しいものがあります、
そうした中で、インターネット通信は身障者の仕事、社会参加など広い分野で希望のもてる手段になっていると思います。 特に、かめネットのような身障者と健常者で構成するメーリングリストは参加者が幅広く、毎日の発言(直接、福祉に関係ない事も含めて)を聞いているだけでも非常に勉強になります。
私などは、未だに一方的に世話になるばかりですが、既記の私の同級生のSさんなどは近くに住む視覚にハンディがある方のサポートをしたり決して一方通行ではない新しい社会が生まれつつあるように思われます。
インターネット自身が、現在は星雲状態のような感がありますが、まだ誕生して歴史が浅く、それだけに又、予想できない発展の可能性があります。
かめネットは、参加者が幅広いと言いましたが、実際に高校生から中年の少し年長の方までおられます。 その中で静岡に聖光学院と言う高校がありますが、そこのパソコンクラブのメンバーも入っているので、今年も行われるようですが、昨年の四月には、聖光学院で合同の花見オフを行いました。
花も多少終わりの時期でしたが、初めて会った方や前年、秋の相良であまり話せなかった方とも話せたことは非常にうれしい思い出になりました。 また、東京に「杉並ここと」と言う身障者のパソコン通信の会があり、PC関係の補助用品を作ったりソフト開発などをしていますが、私自身は詳しい経緯は知りませんが、交流があり、七月下旬に静岡で合同の研修会を開きました。
土日を利用し一日目は研修を行い、静岡の久能荘という保養所に一泊し、翌日は観光もしました。
この時、十数年ぶりに再会した清水のMさんは私が紹介した人です。 彼は私より三年ほど年長ですが、長年同じ治療をしている所から親しくなりました。
その治療はちょうど私の体調が極度に悪化した前後に複数の方の協力により日本でもっとも有名なT大の医科学研究所の学者が開発した特殊なミネラル剤を飲み自然治癒力を増しながら全体を快復させていこうと言うものです。
ただ非常に時間は掛かり軽度の人でも効果が現れるまで数年はかかります。私のような症状の重い者は、十数年、あるいは数十年、一生をかけて治療を続けて行かなければなりません。
これも現在、ほかに有力な治療法がないので仕方ありません。 また、関わった方の殆どは全くの善意でしたが、一人だけ良くない人が混じっていて、みんなに多大な迷惑が掛かりました。
特に私は、その人が基本的に善意だったら、一時は命も危くなるほど悪化もしなかったでしょうし、二十数年が経った現在も原状回復さえおぼつかないという状態にはならなかったであろうと思っています。
Mさんは具合が悪くなって、なかなか快復しない私を気遣い何度か家にも来てくれたほど心優しい方です。 以前は治療の説明などのため、月に一度は会っていましたが、前記のトラブルのため、またMさん自身の体調が、ここ数年思わしくないために、長く会う機会がなくなっていました。
久能荘では同室でしたが、Mさんは施設に入っていなかったので、一緒の部屋で過ごすのは初めてでした。 翌日も暑い中をボラメンバーの皆さんは一生懸命やってくれました。
このオフも非常に思い出深いものになりました。 オフが終わった後も、しばらくは東京の皆さんとメールなとのやりとりが盛んに続きました。 かめネットは四肢麻痺が多く視覚障碍の方や聴覚障害の方は相対的にも少ないと思いますが、東京の「杉並ここと」の皆さんは、四肢麻痺とともに聴覚障碍の方が多く、同じ障碍者同士の交流や新たな人間関係の発展も見られます。
その後は、小さなオフが何度かありましたが、皆さんご多忙なためかなかなか予定を組むのも大変のようです。 実際、ボラメンバーの方々は仕事や家庭生活と調整しながら協力してくれています。
そんな中でも、上記のような事が出来る訳ですから、人間同士協力し会うことが、どんなに大切で素晴らしい事であるか、改めて良く分かります。 現在は確かにサポートする側と受ける側が、やはりかなりはっきりしていますが、前出の同級生のように他の方のサポートをしていますし、私なども他の方が分からない事で私に分かる事を答えたことが何度かあります。
もっとも私の場合は見当違いな回答でかえって相手の方を困惑させてしまったかも知れません。 しかし、「情けは人のためならず」と昔から言うように、何か人のためになる事をするのは、必ず自分自身のためにもなると思います。
本来、人間社会は、それぞれが適性と能力に応じて貢献していく事が、本人だけではなく全体を良くしていく事だと思います。 私自身も、今は家の中で自分の身の回りの事を一通り出来るのが精一杯の状態ですが、常に自分自身に出来ることを考え努めていく姿勢は持ち続けているつもりです。
インターネット(メーリングリスト)とパソコンボランティアが結びついた「かめネット」のような会が全国(さらには国際的にも)普及し将来的には文字通り「ネットワーク」を形成できれば良いと個人的には思っています。
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