断章である、あくまで。談笑ではない。男娼でも、ない。
このまえ、ミュンヘンの地方裁判所では、元ナチの親衛隊の男に終身刑の宣告をした。その男は、89歳の老人である。
うなったね。うなった。
そのとき、ヨーロッパがもつ精神性の深さのようなものに、ぼくは思いをはせてしまった。
そして、ブリュノ・デュモン「ユマニテ」を見た。これも、うなった。2001年のベストワンにしたくなってしまう。
「チクショー、や・ら・れ・た・あ」と、思った。
「ユマニテ」の主人公ファラオン警部補は、世俗的なモノサシでいうなら、「冴えないオトコ」である。
彼は、取調室で、麻薬売人の青年に頬ずりをして、抱きしめる。
少女を強姦して殺害した友人を、抱きしめてキスをする。
そして。
悲嘆にくれる、その殺人者の恋人の女性を抱きしめる。そのいずれのときも、ファラオンは、無言である。
ここに、ブリュノ・デュモン「ユマニテ」のすべてが凝縮されている。
日本の誰かの小説に「無限抱擁」というのがあったが。作者の名も忘れたなあ。
もう、文庫本にもないだろう。
警部補ファラオンの行為は、善悪の彼岸にある。また、セクシュアリティの彼岸にも、ある。
ファラオンは、現代の・・・・というより、人間化したキリストなのだろう。
来日時のインタビューで、ブリュノ・デュモンは、こう語っている。
「ファラオンという存在は、正常な人間の中身をデフォルメして表現しているものです。映画は、見えるものを撮ることによって、見えないものを表現していく芸術方法だと思います。見えるものが大切なのではなく、見て感じとる意味が大切なんだと思います」
君は、抱く男になれるか。すでに、抱かれる男には、みんななっていると思うのだが。
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