「行商人」「サイクリスト」などの傑作をものにしているイランの監督、モフセン・マフマルバフは、最新作をアフガニスタンで撮影し、滞在中に見聞したことを、ひとつの意見書にまとめました。
このことは、朝日新聞の「天声人語」でも、ちらり紹介していましたが、その意見書の全文をインターネット(東欧系のサイト)で発見しました。イエーイ!
そこで、拙い抄訳ではありますが、日本のみなさんに紹介することにします。
原文は、「LIMB OF NO BODY、WORLD'S INDIFFERENCE TO THE AFGAN TRAGEDY BY MOHSEN MAKHMALBAF、JUNE 20、2001」」となっています。
これは、読むのに約1時間はかかります。
そして、アフガニスタンにおいては、戦争と飢餓のために、1時間に14人が死んでいき、60人が他国へ亡命者しているのです。
なぜ、そういうことが起きるのかを、これから記述していきます。
しかし、これが、もしも、あなたの優雅な生活にふさわしくない苦々しい問題であるようなら、読まなくてもけっこうです。
●世界の目にアフガニスタンは、どう映っているか
昨年わたしは、韓国の釜山映画祭に出席しました。そこで、次回作のテーマについて質問をうけ、「アフガニスタンです」と答えました。すると、「なぜ、アフガニスタンなんですか」。
その理由は、明瞭です。
アフガニスタンは、こんにちの世界で、いかなる役割もになっていません。それは、単に、アフガニスタンという国自体が存在理由をもたないということだけでなく、この国は、科学の進歩とも無縁だし、芸術的な栄誉をなしとげたわけでもないために、まったく存在理由をもっていないのです。
ところが、アメリカやヨーロッパや中東諸国では、事情がまったく異なり、アフガニスタンは変わった国としか認識されていません。そして、こうした認識のなに、ポジディブな含みは、まったくありません。
アフガニスタンという国名は知っていても、人々が抱いているイメージといえば、「密輸」「タリバン」「イスラム原理主義」「ロシアとの戦争」「長い市民戦争」「飢餓」「高死亡率」など。
それで、これらのイメージからは、平和とか安定とか発展という主題は浮かびあがってきません。ですから、世界の人々は、アフガニスタンへ旅行する気にもなれないし、ビジネス面でも投資の意欲がわいてこないわけです。
しかし、だからといって、アフガニスタンは忘れられたままでいいのでしょうか。
例の仏像遺跡の破壊については、世界の多くの人々が悲憤と関心を寄せ、遺跡を守るための支援活動が動き始めたました。
しかし、深刻な飢餓が原因で100万人ものアフガンが死に追いやられたことに、悲しみの意思表示をした人は、誰もいません。国連の難民救済高等弁務官オガタ氏を除いては、です。
アフガニスタンで、こんなにも多くの人間が死んだという事実を、なぜ誰も話題にしないのでしょうか。仏像の破壊には大きな叫びをあげるのに、アフガンの飢餓による死を防ごうと声を出す人はいません。
現代社会においては、人間よりも仏像遺跡のほうが大切なのでしょうか。
わたしは、映画監督として、アフガニスタンで2本の作品を撮りました。1988年の「サイクリスト」、2001年の「カンダハール」が、それです。 これらの映画を制作するにあたって、わたしは、さまざまな書籍や資料など、およそ1000ページに及ぶものを読みました。そして、この作業から、アフガニスタンについて、世界の人々とは違うイメージを抱くようになったのです。
それは、たいへん複雑で、異様で、悲劇的でもあるのですが、にもかかわらず、より先鋭的であり、また、よりポジティブなもの。忘却と抑圧ではなく、注視にあたいするイメージでした。
●イラン人の心のなかにあるアフガニスタン
イラン人の心のなかにあるアフガニスタンのイメージは、アメリカやヨーッロパや中東諸国の人々のものと、基本的には同じようものです。
唯一、違いがあるとすれば、もっと至近距離から見ているという点でしょうか。
南テヘランやイランの町に住む労働者たちは、アフガンに対して親切ではなく、仕事をみつけるうえでのライバルとみなしています。
イラン労働省の圧力により、アフガンは強制帰国させられようとしています。
しかし、イランの中産階級の人々は、アフガンが、気くばりが必要な仕事、警備・守衛などの仕事には、たいへん向いていて、信頼できる人たちであることを知っています。
建設業界の人なども、イラン人よりはアフガンのほうがよく働き、しかも、高い賃金を要求しないと信頼しています。
また、密輸取締まり筋では、彼らは、麻薬の取り締まりにおいて、ひとつの鍵になると認識しています。
●世界はアフガニスタンをどうみているか
現在のアフガニスタンについて、メディアをとおしてわたしが知りえたことは、ケシの種のことを除けば、ほとんどなにもありません。
かくのごとくアフガニスタンは、世界のニュースにおける存在がきわめて希薄です。
しかし、それをどう解決するかを考えると、ほとんど絶望的にならざるをえません。
もし、クエイトのように、アフガニスタンが石油を産出していれば、話は別ですが。
かつてソ連邦が存在していたころ、アフガニスタンは、東側との闘い、それに共産主義の圧政の証言者として、西側のメディアから注目されていました。
その後、ソ連軍が撤退し、ソ連邦崩壊したわけですが、アフガンの1000万人もの女性が教育と社会参加の機会を奪われている事実、そして、多くの人々の生活を脅かすアフガンの貧困と飢餓の根絶を救うために、人権を擁護する国であるはずのアメリカが、なぜ真摯な行動をとろうとしなかったのでしょうか。
答えは、こういうことでしょう。
アフガニスタンは、なにも望みを出そうとしなかった。アフガニスタンは、たくさんの恋人に色目を使うような美少女ではなかったのです。そして不幸なことに、かつての美少女は、もはや老婦人的存在。かりに誰かが彼女と親密な関係になろうと望んだとしても、その結果はどうかといえば、もはやご臨終の費用負担がのしかかってくるだけだといえるでしょうか。
●数字が示すアフガニスタンの悲劇
過去20年間、アフガニスタン国内には、厳密な統計はありません。したがって、あくまで概算になりますが、アフガニスタンの人口は、1992年に約2000万人。この国の20年間というものは、軍隊の襲撃、飢餓、医薬品の欠乏に終始してきたわけです。
別の表現をするなら、毎年毎年12万5千人、1日に換算すれば毎日340人、1時間に平均14人、あるいは、毎日5分に1人が、殺されるか餓死するかしてきました。
この20年間、アフガニスタンでは5分ごとに1人の人間が死んでいったにもかかわらず、誰も、この悲劇については語ろうとしません。
とはいえ、多くのアフガン難民の場合は、さらに悲劇的です。
精密な統計資料によれば、イランとパキスタンに亡命したアフガンの数は、630万人ということで、これは、この20年間、1分に1人が難民として国外へ逃亡してきたことになります。そして、この数字には、北部から南部へ避難した人たちや、国内紛争で生き残った人たちは、含まれていません。
いずれにせよ、アフガニスタンで殺害されたり、避難民として国外へ脱出した総数は、パレスティナの総人口に匹敵します。
わたしが、アフガニスタンへ入国しようとしたとき、入国者向けの異様な内容の掲示を目にしました。それは、地雷に関するものでした。
「毎日、平均7人の人間がアフガニスタンの地雷を踏んでいます。今日も明日も、あなたが、その1人にならないように、ご注意ください」。
これから50年間以上、アフガニスタンの人たちは、自分たちの土地を安全な生活ができる所にするため、地雷の被害にあっていかなければなりません。なぜかというと、どのセクトの人たちも、後になって地雷を回収するための地図や計画のないまま、地雷を埋め込みつづけてきたのです。
激しい雨が降ると、水は、かつて安全で辺鄙な道を、危険な小道に変えていきます。
このように危険な生活環境の拡大は、国外に脱出する人をつくり続けて、アフガニスタンには、常時、飢餓と死の恐怖が存在しているのです。
国民の移住率が30%にもなると、もはやその国の未来に希望はなくなってしまうでしょう。
そして、残る70%の人たちについていえば、10%は殺害されるか飢え死にし、60%の人たちは、国境を越えることができません。かりにできたとしても、彼らは、近隣諸国から強制送還されてしまう。
この恐るべき状況が、アフガニスタンにとって、いかなる国際的なプレゼンスをも難しくしてしまう大きな障壁になっているといえるでしょう。
かくして、実業家たちは、麻薬ディーラーを除けば、あえて投資のリスクを引き受けようとはしませんし、政治のエキスパートは、むしろ直接、西側へ飛んでいってしまうのです。
これこそが、いまアフガニスタンが直面している危機の打開を、非常に困難にしている原因です。
TO BE CONTINUED・・・ただし、翻訳は、遅々と進むだけ。この続きは、いつになることやら?
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