● they died and died in a no-man's land
都市の中心部で、およそ2万人の女性や子供たちが、餓死寸前の状態にあるのを、わたしは、この目で見ました。
その人たちは、歩くこともできず、地面にへばりついて死を待っているのでした。
その日は、たまたま国連のオガタさんが視察に訪れており、なんとか救済方法を考えると約束していましたが。
また、タジキスタンのデュシャンバーでは、10万人のアフガンが、徒歩で南部から北部へ急いでいる情景も、目撃しました。戦争の打撃をうけ、飢えた子供たちは、何マイルもの道を裸足で走っていくのです。
それは、まるで、最後の審判の日のようでした。こうしたことは、世界のどこのメディアでも、報道していません。
後日、同じような避難民の群れが、国内の敵軍から攻撃をうけ、また、タジキスタンの避難所から受け入れを拒否されたりもしています。
(このあとに続くところは、原文で紹介させていただきます。そのほうが、マフマルバムの悲しみと怒りを、ぼくの訳文よりもはるかにダイレクトに感じていただけると思うからです)。
In the thousands, they died and died in a no-man's land between Afghanistan and Tajikestan and neither you found out nor anybody else.
As Mrs. Golrokhsar, the renowned Tajik poet put it: "It is not strange if someone in the world dies for so much sorrow that Afghanistan has.
What's strange is that why nobody dies of this grief."
Afghanistan, a country with no images
Afghanistan is a country with no images, for various reasons.
Afghan women are faceless which means 10 million out of the 20 million population don't get a chance to be seen. A nation, half of which is not even seen by its own women, is a nation without an image.
(とくに、このなかでは、後半に引用される詩もさることながら、「 they died and died in a no-man's land between Afghanistan and Tajikestan and neither you found out nor anybody else.」のところが、哀切という痛切というか、心をうたれます)。
アフガニスタンでは、ここ最近の数年間は、テレビ放送もありませんでした。
わずかに存在したマスコミといえば、「SHARIAT」「HEEVEN AND A NICE」という二つの新聞のみ。それも、たった2ページのもので、しかも、文字だけで写真はなし。
これが、アフガニスタンのマスメディアのすべてでした。
絵とか写真というものは、イスラム教の戒律によって禁止されてきました。それに加えて、ジャーナリストの取材も許可されていませんでした。
いまは21世紀の初頭であるというのに、映画制作会社もなければ、映画館もない。
すこしまえまでは、14の映画館が存在し、インド映画を上映していました。また、インド映画を模倣した小さな映画プロダンションもあったのですが、いずれも閉鎖してしまいました。
世界の映画界では、毎年じつにたくさんの作品が制作されていますが、アフガニスタンからは、なにも制作されません。
しかし、ハリウッドでは、アフガニスタンの戦争を題材にした「ランボー」を、つくりました。とはいえ、すべてはハリウッドで撮影され、アフガニスタンの現地撮影はなし。
ランボーがアフガニスタンのペシャワールにいるシーンも、背景に映像を映してハリウッドで内で処理され、アフガニスタンは、アクションと興奮の道具に利用されたにすぎなかったわけです。
いま100万人が餓死しかけ、市民の10%が殺害され、30%が難民として国外へ逃亡しようとしている国アフガニスタン。それなのに、その国に対してハリウッドは、こういうことしかしないのです。
ロシアは、アフガニスタン占領の任務についていたロシア兵の記憶にかかわる映画を、2本制作しました。
THE MUJAHEDIN社は、ロシア軍の撤退後、いくつかの映画を制作しました。ただ、これらは、基本的にプロパガンダのための作品で、過去と現在のアフガニスタンのほんとうの状況を伝える映像とはいえません。
イランでは、アフガニスタン移民を題材にした作品が、2本つくられました。「金曜日」と「雨」が、それです。
わたしは、「サイクリスト」「カンダハール」という2本を制作しました。
いまのところこれらが、アフガニスタンを映像で伝える作品のすべてでしょう。
さて、テレビの世界では、どうでしょうか。
世界中でも、ごく限られた数の記録しかありません。もしかしたらこれは、世界の、あるいはアフガニスタン国内外における陰謀か、アフガニスタンをいかなる映像記録もない国にとどめておくための国際的な無知ではないでしょうか。
●映像をもたない国の歴史的なイメージ
アフガニスタンは、イランから分離独立した国です。そして、およそ250年間は、イランの一地方でしたし、ナディル・シャー時代には、GREATER KHORASANの一部でした。
インドからの帰路、ナディル・シャーは、GHOOCHANにおいて、殺害されました。そして、ナディル・シャーの軍隊のアフガン司令官であったアマド・アブダリは、4000人の兵士かになる部隊とともに、逃走しました。
その後アマド・アブダリは、イランからの独立を宣言し、ここに、アフガニスタンが誕生したのです。
その国民は、ほとんどが農民で、圧倒的に力をもつ種族によって支配されていました。
というのは、アマド・アブダリがパシュトーン族に属していた関係から、彼は、タジク族、ハザレ族、ウズベク族などの種族による絶対的な権力は、受け入れるわけにはいかなかったのです。
それで、それぞれの種族は、それぞれのリーダーが統治するということで同意され、「ローヤ・ジルガ」として知られる、共通の種族自由主義のルールがまとめられました。それ以降現在まで、アフガニスタンでは、「ローヤ・ジルガ」を超えるだけの内容をもつルールは、つくられていません。
「ローヤ・ジルガ」は、アフガニスタンが農業への経済的依存から一歩も前進していないことを露呈してきただけではなく、種族別統治から抜け出すことがないゆえに、ナショナリズム感覚を醸成することに失敗しています。
アフガンが、自分が育った土地から離れていかないかぎり、自分がアフガニスタンの国民てあるという自覚はもちません。
彼らは、基本的に種族の一員であり、種族主義こそが、彼らのアイデンティティーを支えているのです。
しかし、イランにはそうしたことはなく、アフガニスタン人とイラン人のもっとも顕著なな差異といえば、この点になるでしょう。
イランにおいては、大統領の選挙の際でも、候補者がいかなる民族であるかなどは、問題にはされませんし、それが投票で有利になることもありません。
ところがアフガニスタンでは、アマド・アブダリの時代から今日まで、全地方の95%をタリバンが統治しているように、主たるリーダーは、いつもパシュトーン族から出ていました。
そして、アフガニスタンの人々は、いつの時代でも、この種族自由主義に満足していたのです。
TO BE CONTINUED???・・・ただし、翻訳は、遅々と進むだけ。この続きは、いつになることやら?
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