あらかじめ断っておきたい。
これは、やっかみで、書いている。
そして、もうひとこと。
書くことに、自己弁護的な動機は、ない。
そして、さらにひとこと。じつは、やっかんでいるのは、たんなる「ふり」なのである。
いひひ。
ぼくは、ロバート・レッドフォードもブラッド・ピットも、好きだ。だから「スパイ・ゲーム」を見にいった。
もし、彼らが出ていなければ、そのかわりにGAPへ出かけて、シーズン半ばでプライスダウンされた手編みのマフラーを買っただろう。
そう、ぼくはぼくなりに、人生の時間とお金の、もっと有効な使いかたを知っている。
監督は、「トップガン」のトニー・スコット。
2時間8分、1秒たりとも観客を退屈させない技は、見事である。そして、紅1点のキャサリン・マコーマックも、かなり魅力的である。
それにしても、ハリウッド映画というのは、なんで、こうなのだろう。
まるで、かたときでも観客を退屈させてしまったら、それは、テロまがいの犯罪になるとでも、思いこんでいるのではないか。
短いカットの息もつかせぬ連続。情感を演出する過剰な音楽。メリハリのきいた鮮やかな映像。気のきいた台詞のキャッチボール。
技の巧みさという点で、ほとんどがメイド・イン・ハリウッドの類型に堕していることに、彼らは気づいていない。いや、もしかしたら命をかけて類型化へ驀進しているのかもしれないが。
見終わると、ファッション・マッサージでとことん遊んだみたいな爽快感と悔恨、ただそれだけが残る。
でも、こういうことって、人が生きるためには、必要なことなんだろう。
人生は、かすかな快感とおびただしい悔恨の連鎖なのだから。
ただ、多くの善人がその種の気晴らしに耽溺しているあいだに、世界はゆっくりとゲットー化しつつあるということを忘れずに!
「スパイ・ゲーム」の主役は、部下思いのCIA要員を演じるロバート・レッドフォードだが、64歳にしては驚くほど不自然な顔の皺。
皺が悪いわけではないが、彼には、ジーン・ハックマンやアンソニー・ホプキンスのような、鋭い気迫と内面的に深みのある演技力はない。
これは、かつて美男であったがゆえの悲しい末路なのだろうか。
そして、ブラッド・ピット。
中国以外のシーンでは、その頬が、食べすぎによる肥満を連想させる。
たしかに、「リバー・ランズ・スルー・イット」のころよりは、さらにレッドフォード化してきてはいるけれど、ようするに、普通のアメリカ男。
彼から若さと無邪気さを取り除いたら、スターとしてどういう魅力が残るのか。
美しいといわれることに馴れきった男たちは、みずからの「表層」に気を許すあまり、形而上の美点を磨くのを忘れて年老いていくしかないのだろうか。
とはいえ、ピットは、やはり、かろうじてかっこいい。