紀伊半島ツーリング紀行 平成11年4月30日〜5月3日

友人からのハガキ
 4月のはじめ頃、共に学生時代を北海道で過ごしたものの、卒業してから一度も顔を合わせたことがない友人から一通のはがき
が届いた。年賀状のやりとりはしているから別に唐突とも思わなかったが、葉書に自筆で書かれていたのは住所と名前だけで、他
は全て印刷であった。葉書は南紀熊野体験博の案内で、和歌山県の職員である彼達が一人何枚かをあてがわれ、発送するノルマを
負わされたものと思われた。
 夕方帰宅してテーブルに置かれている葉書を見て、意味の良く解らないイベントだなと感じただけで、テーブルの上で手紙やら
何やら山になっている中に紛れ込ませたまま日々思い出すこともなかった。

 富士市の事務所に一年いただけでこの四月から函南町に移動し、通勤時間が10分から一挙に東名高速道路を使って1時間にな
った。ありがたいことに高速道路代が全額支給されるので財布への負担は軽くてすむ。今年のゴールデンウィークは職場に近い連
中が飛び石部分に勤務し、遠距離通勤者は休暇の優先権を得るべしと宣言し、4月30日を休むことに決めていた。
 休みを確保したが、どの様にして過ごすかは決めかねていたところ、ふと友人から来た葉書を思い出した。ある日の夕食の時「
今年は紀伊半島へ行こうか」と女房に切り出した。これは紀伊半島へ行く意思表示であって、相談の意味は持っていない。
 紀伊半島は20歳代の頃、海岸線を1周したことがあった。今回は出来るだけ山の中に入ろうと目論んではいたが具体的計画は
例のごとく全くなし。1日目はどこまで、宿泊はどこ、見物場所はどこと周到な下調べと準備を必要とする旅は得意ではない。決
めたのは伊勢湾フェリーで鳥羽へ渡ることだけだった。
 4月29日はJAC主催の新宿御苑で行われたオートキャンプ初心者教室へインストラクタとして行き1日がつぶれた。

ヒッチハイカー
 30日は冬以来装着したままだったキャンピングかーのスタッドレスタイヤをノーマルタイヤに付け替える作業を行い、全面収
納庫になっているベッド下の整理もついでにやってみた。10年来使っていない灯油のコンロや、2年ほど前に賞味期限の切れた
レトルト釜飯、汚れた軍手多数、今は手放したテントのペグセットが入った袋などを発見。再度詳細な調査を行う必要を確認した。

 出発できたのは12時半頃だった。富士インターの料金所を通過し、道路公団作業車の出入り口でヒッチハイクをしている二人
の若者が目についた。学生風の二人は浜松と書いた段ボールを胸の前に掲げている。浜松インターから1号線で湖西市白須賀まで
行く予定であったし、6人乗りに二人と2匹で座席に余裕があるし乗せてやろうかと停車。
 「どこまで行くの」
 「潮見坂まで行きたいんです」
 「ああ丁度そこを通るよ」
 話しをしている間に彼らの目は間違いなく猫と犬の姿をとらえた。一瞬顔に狼狽の表情がうかんだが「乗るのかい」と聞かれた
二人からは「お願いします」と返事が返ってきた。
 助手席には既に親友の三太が陣取っているため、女房が鎮座し、なんだかんだの荷物が置いてある後部座席を急遽片づけ、彼ら
のザックをベッドに入れさせ本線へ。
 彼らの目的地は特になく、連休中ヒッチハイクでどこまで行けるかやっているだけで、朝、登り車線の海老名サービスエリアで
始めたが一向に車がつかまらず、下り車線に変更したところ、富士市へ帰省する人に乗せてもらうことができ、私の車が2台目で
、待ち時間5分ほどであったとまずは挨拶代わりの状況説明。       
  学生と思った二人はなんと30代のサラリーマン。しかも片方は妻帯者であった。学生時代からヒッチハイクであちこちを旅し
ていたようで、こちらから聞いた「電波少年の影響かい」の質問に「そう思われるのが一番いやなんですよ」と返事が返ってきた。
このような遊びを続けているということは精神年齢が若く、風体も追随するのだろうか。
 ヒッチハイクであてもない旅を趣味とするならそれ相応の地理、風土などに関する知識が豊富であろうと高速道路から見える風
景を説明するが拍子抜けするほど知らない。浜松祭りも凧揚げも知らなかった二人に最後に「新居の関所は知ってるか」と質問す
ると、これまた「知りません」と答えが返ってきた。「潮見坂まで」と言っていたのも、たまたま知っていた地名であり、新居町
内に住んでいる友人を取りあえず訪ねる計画で、地名が解らないのでただ言っただけのことだった。新居警察署前で降ろしてあげ
る予定をくだんの会話で変更し、名所旧跡の一つも覚えて行けと、関所跡の駐車場で二人と別れた。

 1号線を西進すると、バイパスの入り口案内看板が出ていたが、浜名湖大橋を渡ったバイパスは新居町地先で1号線に合流する
とインプットされた頭はそのまま1号線を進む解答を返した。
 カーナビも”潮見バイパス”を表示していなかった。湖西市の白須賀から42号線を伊良湖岬方向に入ったすぐのところで以前
はなかった立派な交差点があり、その下を車が走っているのを見て、バイパス建設予定の切り通しが昔あったことを思い出した。
 伊勢湾フェリーの時刻は同社のインターネットホームページで確認してあったが、前を走る豊橋ナンバーの軽四がのんびり走る
のにイライラしながら追走しフェリー乗り場に着いたときは乗り込みを始める直前で、乗船券を買って戻ったときには待機ライン
に停車している私のホーミーの前にいた車は全て乗船してしまい1台もいなかった。
 ゴールデンウィークとはいえカレンダーでは平日とあって車の積載はデッキの半分以下。犬と猫は車の中に残し客室へあがり3
0分ほどを過ごしたが、私は三太を、女房は家庭内における理解者であり親友であるミミのことが心配で車へ戻りそれぞれの座席
で鳥羽到着を待った。
   
紀伊半島上陸
  紀伊半島外周のメイン道路である42号線は松坂市から伊勢市、鳥羽市を大きくはずれ紀勢町から紀伊長島町を経て尾鷲市に通
じている。鳥羽から42号線にはいるには西進し伊勢市を経由するか、南進し167号線、260号線、県道をたどり紀伊長島町
で42号線に合流するルートがある。
 今回は後者を選択し、167号線で磯部町を目指し、県道を経由して南勢町から260号線へ出た。
 鳥羽港から30分ほど走った所にあったスーパーで夕食の材料を調達、ついでに三太をつれて周辺を散策した。走りながら宿泊
適地を探すことしばらく行くと「いこいの広場」の頭上案内板が目に入りハンドルを切る。広い駐車場が3カ所、野球場、体育館、
フィールドアスレチックの広場、トイレと申し分ない環境。ナイター練習と思われる車が入りつつあった野球場隣接の駐車場は、
こちらをうかがっているような管理人とおぼしき人物がいた体育館の管理事務所と思われる部屋から丸見えだったため遠慮し、各
施設から一番離れた駐車場をこの日の宿泊地に決定した。野球場の周りが遊歩道になっていて散歩にも丁度よい環境を一番喜んだ
のは三太かも知れない。8時頃にはシュラフをかぶり就寝。夜中に狸でも現れたか、猫のミミが外をうかがいうなり声をあげたた
め何度か目が覚め熟睡できなかった。

 寝ぼけ眼で起きたのは6時頃だった。近鉄の線路を遠くに見下ろせる誰もいない野球場隣接の駐車場へ車を移動し、犬の散歩を
し、昨晩の夕食で使った食器をバックスタンド裏にあった水道で洗い、ジャグに水を確保し朝食はパンで済ませた。横浜ナンバー
が駐車場に入ってきて、降りてきたアベックが広場の水道水をポリタンクに入れ、歯を磨いていた。
 カーナビで那智の滝へ寄って、潮岬を目的にしたコース設定をし出発。海岸を走ったかと思うと山中に入りまた海岸へと変化に
富んだ景色を楽しみながら、孫太郎キャンプ場は入り口だけ見て通過し、那智勝浦町へたどり着いたのは午後。那智の滝周辺の駐
車場は満杯状態。なんとか滝まで近い駐車場に入ることが出来、犬猫を車の留守番に滝近くまで歩いて記念撮影。
 
 和歌山県には南紀熊野博の案内を送ってきた男の他、もう一人の同級生がいる。古座町出身で、卒業後実家に帰ったことが記憶
にあったため、現地で電話帳でも調べれば大丈夫だろうと住所録も調べずに出発した。
 その古座町に入り公衆電話ボックスの電話帳をあたるが見あたらない。事前に連絡もしてないことだからと友人探しはあきらめ
たが学生時代この男が古座町や太地町は美人が多いと自慢していたのをふと思い出した。
 海の中に柱状の岩が林立する景勝の橋杭岩に立ち寄る。駐車場に整理員は居らず車は無秩序に駐車し大混雑。早々に出発し間も
なく潮岬に到着。

三太が自殺未遂
 灯台直下の展望台で転落防止のためのコンクリート壁にさしかかったとき、体の右側を何やらかなりの勢いで通り過ぎたと思っ
たら、手にしていた三太の引き綱に一挙に重量を感じた。何を血迷ったのか、私の胸の位置よりやや低い高さの防護壁を三太がジ
ャンプ一発飛び越したのだ。壁の向こう側は断崖である。
 首輪でなく胴締めであったのが幸いし、宙づり状態の三太をあわてて引っ張り上げた。引き綱端の輪の部分に手首を通していた
のも偶然だったが幸いだった。
 近くにいたアベックが一部始終を目撃していて「犬の飛び降り自殺だ」とつぶやいた声が聞こえた。三太に何か悩み事があった
のか。三太の顔が何となくしんみりと見えたのは考え過ぎだったのだろうか。

 灯台周囲に広がる芝生広場東端には串本町営のキャンプ場があったが管理人はおらず、早い者勝ちで勝手にテントを張っている
状態とオートキャンプは不可、しかもあちこちにマムシに注意の看板があり、20張りほど設営済みのその場所は敬遠し、その後
はキャンプ場を探しながらのドライブになった。
 キャンプ場ガイドでまずどこにキャンプ場があるか目星をつけるのだが、所在地を見ても皆目見当がつかない場合が多い。何と
か郡なんとか町と書いてあっても、自分がこれから進んで行く方向に該当するのか通り過ぎた所かどうかがわからない。市ならあ
る程度見当がつくというものだが、町や村は難しい。
 ”周参見”であることを初めて知ったすさみ町を過ぎ日置川町に入ったところで、キャンプ場ガイドに「所在地日置川町」のキ
ャンプ場が載っていたはずだと思い出した。日置川大橋を渡ったところの交差点で国道をはずれ車を止めた。
 ガイドを見れば2カ所のオートキャンプ場がある。モデル料金の安い方へ携帯電話で連絡を取ると、一杯ですの返事。GWで予
約なしでオートキャンプ場を探すのは無謀であるのは百も承知だが、1泊で駐車スペースだけあればいいと粘ると、何とかしまし
ょうと言ってくれた。
 場所を聞けば停車している場所からUターンして20分ほどの距離、日置川をさかのぼり高料金の日置川オートキャンプビレッ
ジ入り口(ガイドのモデル料金は7600円)を過ぎ日置川町営向平キャンプ場へ着いた。
 開設してまだ間もないと思われるキャンプ場は日置川の面した平らな砂利のサイト。一杯ですと言われたので難民キャンプ状態
を覚悟していたが、何のことはない日置川でカヌーを楽しむグループとバイクツーリングのキャンパーで全サイトの4分の1程度
が埋まっているだけのがら空き状態。
 私たちが1泊を必要としたのは5月1日の夜、キャンプ場側は5月2日から4日まで予約が入っているとそのサイトはあくまで
も予約済みで、1日夜の1泊でも入れるべきではないと考えていた。各サイトには2日以降の予約客名がサイト番号板に張り付け
てあり、私の入ったサイトにも関西某市の人の名前が張ってあった。ツーリングキャンパーはこれからのオートキャンプ場経営で
は決して無視できない存在であるはずだが、60歳代とおぼしき管理人さんは一向に気にする風でもなかった。
 風呂設備はなく3分200円の温水シャワーで埃を落とそうとしたが、温水が出てくるまで間違いなく1分以上経過した。シャ
ンプーして洗い流しているうちにタイムアップ。この野郎と思ったがあとの祭り、仕方なく水のみで後始末をし文句を言おうと管
理事務所を見れば無人。この夜も夕食後はバタンキューで就寝。
 後日テレビで日置川を下るカヌーツーリング体験番組をやっていたが、急流あり,瀞場ありの関西のカヌー界では優れものの川
のようだった。

南紀熊野博にキレた!
 3日目は前日の道を42号線へ戻らず、日置川をさらにさかのぼり上富田町で42号線へ合流する地方道を選択。車のほとんど
通らない山間の道を快適に走り、42号線にぶつかった。道中熊野博の幟旗がこれでもかとガードレールに林立していたが、肝心
の博覧会がどこで行われ、何をしているのかの案内が全くない。42号線に入ってもメイン会場への案内も全くないため、仕方な
くそのまま田辺市内のバイパスを北上した。紀州梅の売店駐車場に土産を買うため立ち寄り、そこから友人が送ってきたハガキに
あった実行委員会事務局の電話番号に携帯で問い合わせたところ、メイン会場へは戻らなければならないこと、案内板は日置川町
から42号線を進めば白浜町境にあったことなど説明されたが、市内各地に案内板が無さすぎるのではと言ったら「そんなことは
ないはずだが」の答えが返ってきた。
 ポスター、パンフレット、幟旗の量で勝負しようとしているかのような印象に何となくうんざりし、南紀熊野博が観光客に何を
しようとしているのかさっぱり解らない所へもってきて、主要道路を走って来てもメイン会場の場所も解らない状況に、女房共々
「何が何でもメイン会場へ行く気にもならない」とパスする事に決定。
 ハガキを送ってきた友人を土産物店の電話帳で探し当て、電話したところ「現在使われていません」のメッセージが返ってくる
のみ。住所は合っているのに、いたずら電話か何ぞで番号を変えたのではないかと判断し、こちらの友人への連絡も断念。後日、
古座町の友人を住所録で調べたところなんと通過してきた上富田町に住んでいたことが判明した。
 土産物屋の駐車場で、田辺から山へ入り高野山へ至るコースをカーナビで選択した後、田辺バイパスを北上した。地図上ではバ
イパスの終点から国道を龍神村へ進み、龍神高野山スカイラインで高野山へ至るはずが、やけに狭い農道になった。さすが和歌山
は梅の産地だ、山の斜面は梅ばかりだと感心しながら走り続けると小さな集落に出た。万屋のような売店に飛び込むと、郵便配達
の親父さんが地元のかぁちゃんたちと雑談の真っ最中だった。

私は今どこにいるの?
 地図を差し出し、「私は今どこにいるのでしょう」と聞くと、心得たもので「あぁバイパスを終点まで走って登って来なさった
でしょう」、「ハイ」、「よく間違えるんだよね」、「えっ?」、差し出した地図の一点を指し示し「ここはここ、古屋谷って言
う所だよ」。田辺のバイパスが古いカーナビの地図よりも先に延びたため、以前は確かにバイパスの終点から国道を東進すれば龍
神村へ至ったのが、今はくだんの集落に到着してしまう由。
 「あんたの車は何かね?」、「ホーミーです」。確認のため外へ出た郵便局員は返事をためらい、中の30代とおぼしき男性に
「おい、あの車通れるかい」と聞いたところ返事は「楽勝」。 木道峠への道はすれ違い不可能、ヘアピンカーブ連続する急坂の
農作業道路、2速以下の走行で峠を上りきり、国道371号線へ続く川沿いの道へ出た所で思わずため息が出た。
 371号線は合流してからは軽快な山間、渓流沿いの軽快な走り、だがこの後の371号線がとんだ食わせ物だったのをここで
は知る由もなかった。
 
 龍神村役場には大きな龍のモニュメントがあり、山に囲まれ、水量の多い渓谷が続く雰囲気は龍がいてもおかしくない。間もな
くして整理員のいる駐車場が目に入った。奥には「国民宿舎龍神温泉ロッジ」の看板がある。国民宿舎とあれば風呂に入らない手
はない、しかも温泉で300円ときた。駐車場の半分ほどが埋まりつつある時で、風呂場は一杯かと思っていたが、なんと大浴場
は無人、龍神様のお恵みをありがたく頂き、手足を伸ばして「おっ、うぅぅぅ、ぐをぅぇぇぇ〜〜」。
 龍神街道と表示のある371号線をさらに行くと道は自然に有料道路の高野龍神スカイラインになった。有料道路だけあって整
備は行き届いているが、勾配がきつい。ホーミー搭載の日産TD27型エンジンは負荷がかかったときの黒煙が多く、NOxによる
環境汚染には大変申し訳ない思いをしているが、この日も後ろに続く乗用車が近づいて来ない。
 所々の待避帯で後続車を先に行かせ、1st〜2ndで喘ぐように高度をかせいで行く途中、高さ30mほどの滝が落下し、道
路から2mほどの所まで樋で水を引いてあり水汲みが出来るように整備されている場所があった。うまいことに車数台が止められ
る待避帯があり、ここで昼食をとることにした。滝の水を沸かしてめんを茹で、滝の水で洗い、つゆも滝の水で作ったそうめんは
美味だった。休んでいる間に滝の水を汲みに来た地元ナンバーの老夫婦にこの滝が日高川の源流であることを教えてもらった。
 護摩壇山なるいかにも宗教がかった名前の山の下を通り「笹ノ茶屋峠」の駐車場は満杯状態だったが、丁度1台の車が出て行く
ところに通りかかったため難なく駐車できた。ここからの景色はとにかく山山山。紀伊半島の懐の深さに感心させられる風景で熊
野信仰や、平家の落人集落などさもありなんと思わせられた。

"凄まじい!"国道です
 計画では高野山参拝を企てていたが、駐車場の混雑ぶりに恐れを為し人混みを横目で見ながら通過した。ここからまた371号
線に合流したが、地図上では371号線はつながっていない。
 間に高野龍神スカイラインが入って連続する1本の道路となっている。高谷町からはこの371号線で橋本市まで出て五條市、
大淀町から明日香村へ至ることにしてし、しばらくは快適に走行したが、右側に見えていた川が左になってからからは様相が一変
した。道幅が極端に狭くなり、すれ違いは所々にある待避場でないと不可能。片側はオーバーハングした岩、片側は渓谷の道はこ
れでも国道かと叫びたくなるような道。高野山方向へ向かう車が多く、すれ違いに5分、10分と必要になる。藤枝のヤマメの里
へ至る道や大久保キャンプ場、はたまた池ノ谷キャンプ場などへ至る山道を比較すればこれらの道は高速道路に匹敵する。インタ
ーネットで手に入れた和歌山県道路事情の情報には一言「凄まじい道」と書いてあった。
 「二度と通らない」と決心した371号線をはずれ和歌山市から東進してきた24号線と橋本市で合流し、紀ノ川沿いに走行で
きたときは午後4時頃だった。五條市内で少々の渋滞に巻き込まれたが、明日香村には5時前に入ることが出来た。

高松塚古墳
 高松塚古墳に一番近い駐車場は、またまたトコロテン式に入ることが出来た。古墳まで片道約10分ほどの徒歩。古墳入り口は
コンクリートで固められ中をうかがうことは出来ない。すぐそばに博物館があり石室内を模写したものが展示されていた。平山郁
夫画伯が総指揮をしたという模写は古墳の壁をそのまま切り取ってきたのではないかと思わせるほどの出来映えで、方形の壁を奥
から手前に上下左右に開いた形で展示され見学者に見やすい工夫がされている。どの様な人々が墓の建設に携わり、この絵を書い
たのか思いが巡る一室だったが、狭い展示室内は大混雑でゆっくり展示物の前に留まることができない。押し出されるように19
99年の屋外へ出た後は早足で駐車場へ戻り、次の目的地は石舞台古墳。ここの駐車場は入ることなど永久に不可能なような状態
で、ええぃままよと路上駐車を強行し、入場料を払い石舞台前の広場で記念撮影。犬と猫を乗せたままレッカー移動されてはかな
わないと、妻にゆっくり来ればよいと言い残し、私は駆け足で車へ戻った。
 酒船石、飛鳥寺は自転車、徒歩、車による見物人がゴチャゴチャで見るのをあきらめた。古代の人々がゆったりと生活していた
であろう大和路のGWは、心など全く安まらない場所と化し、慌ただしい時間が経過する場所だった。今度訪れるときは冬の平日
だと心に決め大和三山をバックミラーに見ながら飛鳥の里を後にした。

 しばし古代に誘われた頭もどこか泊まる場所を探さねばならない現実に引き戻され、橿原市から166号線を松坂へ向かう途中
で何とかしようと車を進めた。桜のシーズンも終わった吉野村を通過し伊勢街道を東へ進むが、17時過ぎになってもキャンプ適
地と思われる場所がないまま走行するうち香肌狭という渓谷への看板に混じって奥香肌狭、蓮ダムの看板が目に入った。
 

蓮ダム
 蓮ダムは建設省管理のダムで管理事務所入り口横にトイレ、水場があり駐車スペースもあるが鉄製門扉のすぐ横では少々気が引
けるし、管理事務所内には人影もあるため、すぐそばにあった案内看板でさらに探索するとダムの上が道路になっていて、渡った
先のトンネルをくぐってすぐの所に公園がある。公園の方が条件は良いだろうと行ってみたところが大正解で1家族が駐車場に車
を止め柵で区切られた砂利の広場にテントを張っていた。
 湖面から10数メートル上がった公園には桜の木が植採され、木製のテーブルとイスのセットが何カ所か置かれ、静かな湖面に
周りの山々を写す光景は長時間のドライブによる疲れを癒すのに十分だった。 早速私たちも泊まりますと挨拶し、夕食の支度に
取りかかった。犬の散歩やら、湯沸かしなどしている照明のない広場は月明かりだけの闇に包まれた。
 テントの家族は8時頃には明かりも消え静かになった。運転の疲れもあり我が車内も早めの睡眠となったが、夜中に駐車場に入
ってきて夜通しアイドリングをするバス釣りの輩に熟睡を妨げられ、礼儀知らずの連中が相も変わらず多いことに腹を立てながら
の夜となった。

 5月4日は雨の予報に、もう1泊予定していた計画を取りやめ、3日には家にたどり着くことにした。小学1、2年と思われる
お兄ちゃんと年中組位の弟がいた隣の若夫婦に別れを告げ蓮ダム湖畔を出発したのは午前9時頃だった。途中の飯高町にあった道
の駅は役場敷地内にあり、駐車場も役場駐車場と兼用で、最近よくある一番遠い駐車位置からトイレまで100m以上離れている
ような道の駅と違いこぢんまりしているが、ほのぼのとして売店には地元産品が豊富。一袋50膳ほどの檜の割り箸が100円で
得した気分で購入。
 勢和村で166号線と分かれ368号線をすすむ。多気町で42号線にぶつかったが南進車は大渋滞、勢和多気インターで伊勢
高速道に入ろうと考えていたが、インター手前で見た高速道はほとんど車が動く気配がない。これなら下を行く以外ないと県道と
おぼしき道に進路を変更した。 しかし、この道とほぼ並行に走る高速道を見るとなんとスムースに走っているではないか。どう
もほとんど動かなかった車はインターでおりる車だったようだ。
 途中にあった五桂池ふるさと村・花と動物ふれあい広場周辺で小さな渋滞に遭遇したが、その後は順調に伊勢市、二見町まで進
み伊勢高速道二見インターに入り無事鳥羽港に着くことが出来た。

最後の渋滞
 フェリーは着いてから30分ほどの便があったが、ほんの少しの差で満杯のため乗船できず、一時間後の便まで待たされること
になった。岸壁を三太と一緒に散歩したり、売店をのぞいたりして時間をすごし12時50分頃の便に乗船することができた。
 湖西市白須賀からは来るときに見た潮見バイパスを走ろうと42号線とバイパスが立体交差している手前の交差点を左折したが
入り口が見あたらない。何度か行き過ぎたり元へ戻ったりしてやっと流入口がかなり豊橋よりにあることに気がついた。
 潮見バイパス、浜名湖大橋と快適に走り続け篠原の交差点を通り過ぎ、少し走ったあたりで様子がおかしくなり始めた。動いた
り止まったりを何回か繰り返した後パッタリと動かなくなってしまった。上り方向2車線とも全く動かない。凧揚げ会場の入り口
を通ることは承知していたが予測が甘かった。空には一つも凧がない。丁度皆が引き上げる時間帯に当たってしまったのだった。
遠州浜公園入り口の信号までたどり着いたのは渋滞に巻き込まれてから1時間以上たっていた。皮肉にも帰路、今回の旅で最大の
渋滞に静岡県内でぶつかったわけだ。
 久しぶりの遠出であったが、老猫はひたすら車の中で眠り続け、老犬は反対に窓から顔を出し続け健康を害することもなく帰宅
できたことに一安心し、この夜は夕食も簡単にし一風呂浴びて早々に床についた。