三春の滝桜(福島県

 私の実家からおよそ200mばかり離れた瀬戸川の堤防、勝草橋から金吹橋までの間約
1.6kmを桜のトンネルが続いている。子供の頃遊びに興じた堤防であり愛着のある場所
である。
 ふるさとを離れた今でも桜の季節には実家を訪れ、このトンネルの下を散策するのが楽
しみになっている。
 が、この頃一挙に何百、何千本と咲き誇る桜もそれなりの美しさがあるが、一本だけ虚
空に或いは地に向かい枝を広げ、花咲かせる孤高の桜に惹かれるようになった。
 一昨年は岐阜県の薄墨の桜を訪れその姿に心打たれた。昨年は心づもりであった福島
は三春の滝桜に行く機会を仕事の関係で逸した。
 今年は三春町役場が公開する開花状況を注視し続け、7分咲きと報じられた翌日に急遽
三春へ向かった。

 明日夜出発すると妻に告げ、翌朝は平常通り仕事に、帰宅後急ぎ出発の準備。私の旅は
常に無計画。キャンピングカーに当座の食料、衣服を積み込み夜9時出発。
 東名、首都高、外環から東北道がいつもの陸奥旅に辿る道。日付も変わった2時半、とう
とう眠気に我慢が出来なくなりパーキングで仮眠。
 朝5時目が覚める。滝桜周辺は駐車場が少なく交通混雑することが懸念されるため、早朝
に現着することがゆっくり愛でる条件である。予定通り6時を少し回った頃に現着。

 すでに路上駐車多数。運良く1台分空いていた無料の駐車場に車を停め桜へ急ぐ。
 薄墨桜はしっかり整備された公園の中に存在したが、滝桜は畑の中に立っていた。樹勢は
薄墨桜より上と見た。誰がいつ植えたのか、果たしてこのような大木になるのを想い馳せな
がら植えたのだろうか。孤高の大樹があたかも怒濤の水が下り落ちる滝のように可憐な薄
桃色の小粒の花をまとう姿に魂を感じた。
 木の回りを一周し、また丘の上から見下ろし、遠望する石垣に暫く腰を下ろしその桜と対峙
したとき、歴史の中で人の記憶は儚く、不確かなものであることを思い知らされた。
 桜の木とは言え、何百年と命長らえたその幹には、文字も言葉でもない人の思いも寄らな
い何かで、間違いなく歴史が書き記されているに違いないと感じるものがあった。

 この地の方から滝桜を見るなら是非「地蔵桜」を
見るべきと勧められていた。滝桜からこの地蔵桜
へ向かう途中「忠七桜」なる案内看板を見つけ寄り
道をした。地蔵桜の下にあった物産直売所で頂い
たリーフレットで、この地にはこのような「孤高の桜」
が多数存在することを知った。
 何回も訪れることも叶わぬ場所故、いくつかの桜
を訪れた。いずれ劣らぬ「孤高の桜」に感動しこのよ
うな桜の樹に心奪われるのは年のせいかと思いつ
つ三春町、郡山市中田町の地を離れ桜の下でもらっ
たリーフレットにあったあぶくま洞に興味を抱き車を
走らせた。

 鍾乳洞は大規模で、今まで見学したものの中では最大級であり、この地を訪れる機会があ
った場合はお勧めのところである。
 鍾乳洞を出た時点で午後3時を回り、宿泊地の決定に迫られはじめ、ACNあぶくまキャンプ
ランドへ行くとオープンまでまだ10日あり、入場は認めない、この時期やっているのは猪苗代
湖方面にあるとオーナーと思しき人物がしゃぁしゃぁと言った。この時間この場所から猪苗代
湖までキャンプ場を求めて誰が移動するか、このような案内しかできないからキャンプ場場離
れが進むのだ、それがACNのおまえさん達でさえわからないのかと思いつつ車をバック。キャ
ンプ場案内で探したもう一つの所へ電話すると、予約していない客は取らないとの返事、一杯
なのかと尋ねるとそうではない・・・モゴモゴとなる。

 電話を一端切って待てとのことで、待機しているとOKの返事があった。後から判明したがここ
もオープン前で、電話を受けた人がオーナーではなく即答できなかった模様で、オープン準備で
キャンプ場にいたオーナーに受け入れ可否の確認を取っていた。
 キャンプ場はモチロン他の客はなし。夕方6時にはオーナーも「何かあったらここへ電話してく
ださい」と言い残しキャンプ場を離れた。

 前夜の睡眠不足に夕食も食べず眠ってしまい、21時に目覚めた。キャンプ場はアヒル4羽と池
の鯉、三太とミミに私たち二人。遅い夕食を取りまた就寝。
 翌朝7時に目を覚まし、簡単な朝食を取った後一路帰宅の途についた。