あの頃の俺達
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あの頃と言っても、うっすらと記憶のあるのが3歳くらいだろうか?
 終戦後3世帯が転がり込んでいた母の実家、家の前は砂利道で雨が降ると大小様々な水たまりができ、木戸や羽目板は泥汚れが目立ち、車がはねた小石でたいていのガラスは割れ、小さな短冊の紙で補修してあった。
 その道を時々薪を落としながら木炭車のバスが走り、馬力が河原から砂利を積んで通る風景が目に浮かぶ。
 台所などというしゃれた場所はなく、竈の土間で七輪に火をおこすのが日課だったし、水は釣瓶井戸だった。
 親戚が山羊を飼っていて(母の旧姓は八木だった)、2合瓶を風呂敷に包んで乳を貰いに行くのも子供の役割だった。
 日常風景もさることながら、強く思い出すのはやはり「ひもじかった」ことだろうか。サツマイモはよく食べた。当時はサトウキビを作っている農家もあり、縁側に座りながらもらってきた茎にかぶりつき、吐き出した粕で庭が真っ白になった。
 それでも腹が減れば、自分で探す以外方法はなかった。収穫の終わったサツマイモ畑に行けば堀忘れの芋を探したり、売り物にならない子供のチンチンほどの芋を集めてはたき火で焼いた。
 山にはスモモ、山桃、栗、椎などの木の実があった。川にはハヤ、鮎、ドジョウ、ウナギ、ナマズ、ズガニなどがいた。
 趣味ではなくひもじさを補うための木登り、釣りのノウハウは必須であった。リンゴとバナナと卵ボーロは病気にならなければ食えなかったし。森永ミルクキャラメルは年1回の遠足の時の楽しみだった。
 
 履き物は草履が、下駄だった。着ているものはどこかに必ずツギハギがあった。パンツやランニングシャツは木綿でお袋の手作りだった。冬は足袋だった。そして必ずアカギレが出来たし、寒さの厳しい冬はシモヤケも痒かった。
 今よりも昭和20年代は寒かった気がする。田圃には2〜3センチの氷が張り、竹を下駄の裏に打ちつけて滑った。

 親父はラジオ屋をやっていた。ラジオ屋と言っても製品を仕入れ売るのではなく。自分で5球スーパーなどを組み立てて売るのと、修理が商売だった。そんな親父の仕事場で私は小学生になると鉱石ラジオを作っていた。
 家の周りは水田、草原で小さな溜め池の笹の生い茂る一角に廃材を持ち込んで「住処」づくりが好きだった。田圃から藁を失敬してきて屋根を葺き、その中で採ってきた木の実などを食べながら、鉱石ラジオやゲルマニウムラジオを聞いていた。

 小学校は木造校舎で、まだ奉安殿などが残っていた。悪戯が過ぎてよく教師にひっぱたかれた。ご多分に漏れずこのころでもイジメはあったが、暴力・金銭要求ではなく今風に言えばシカトが主流だった。解決策は簡単だった。シカトしているリーダーと喧嘩をすれば片が付いた。
 クラスはずーっと52人から54人だった。そして3月17日生まれの私はたいてい出席番号が最後だった。
 このころ給食で脱脂粉乳がどうのこうのと言う同世代がいるが、残念ながら私は給食の経験がない。静岡県藤枝市立藤枝第二(現中央)小学校、同藤枝中学には給食がなかった。高校時代まで12年間ずっと弁当だった。あの頃、母親達は決して暇ではなかったはずだ、だから給食廃止論に忙しいからとか、弁当の中身の差がイジメの対象になるなどいう意見には納得しがたいところがある。とにかく母は兄と年子である私の弁当を12年間作り続けたのだ。

 登校すると朝は朝の掃除、授業終了後の掃除、教師はクラス対抗廊下の清潔度コンテストなど考えだし、得意になって糠袋など持ってくるやつもいた。そして帰りの反省会、体のいいチクリ、暴露合戦が民主主義だった。挙げ句の果てに善行カード、警告カードなどを発行し、何枚貯めたら何とやらと得意になる教師も出現した。私事だが小学校時代に思い出に残っている教師は残念ながら一人もいない。
 日教組の3文字は小学生でもよく知っていたし、勤務評定闘争の先鋒をはしる教師は子供心でもわかっていた。
 また、教師が授業に持ってくるアンチョコ(赤本)も目障りだった。そういえば我々の教科書は有償だった。年子の兄を持っている私はこの点では大いに助かった。
 教師に不信感を抱くようになったのは「全国一斉学力テスト」がきっかけだった。テストが終わるとまず校内クラス別でこのクラスは何位だった、藤枝市内で我が校は何位だった、そしておきまりの「おまえ達は競争するのだ、受験戦争だ」で終わる説教があった。


 日本の復興、大型台風の襲来と共に道路の建設と治水関係の工事が記憶に残っている。狩野川台風の時は近所の高校生が復旧活動に参加した。
 年代が前後するが、朝鮮動乱、スターリンの死、李承晩ラインも記憶に残っている。韓国による漁船拿捕のニュースは頻繁だった。 

 昭和34年に少年マガジンとサンデーが創刊された。表紙は相撲の朝汐とジャイアンツの長嶋だった。当時の少年達の興味がどこにあったかがわかる。   *********** To be continue **********