団塊の世代に関連する図書・資料・HPなど

団塊の世代  堺屋太一著 講談社
ヤセガエル症候群 日経ビジネス(1996年7月29日号)
2005年食市場を予測する−生活の視点から−
平成7年度国民生活白書
平凡パンチの時代−マガジンハウス編
将来推計人口:国立社会保障・人口問題研究所(1997.2.21)
週間目録20世紀:講談社刊、1997年2月創刊
プレジデント:プレジデント社刊、1997年2月号特集 男50歳の価値観
毎日新聞1998年10月8日、p9(1998年経済白書の編集方針解説)
静岡新聞トークバトル欄に掲載された投書(1998.11.7朝刊)
団塊の世代へのアンケート調査(89年と98年の比較:博報堂生活総合研究所)
朝日新聞読者のページ(平成12年12月25日、朝刊) テーマ投稿「団塊の世代
団塊はずしが始まった(朝日新聞社 アエラ 2001年2月5日号)

10年後のシニアは「デジタル化」「グローバル化」が進展
−電通、「団塊の世代の特性分析と10年後の60代シニア像予測」を発表−
10年後のシニアは「デジタル化」「グローバル化」が進展のシニアは「デジタル化」「グローバル化」が進「団塊の世代の特性分析と10年後の60代シニア像予測」年後のシニアは「デジタル化」「グローバル化」が進展

正しい団塊の世代白書:講談社刊、高田文夫著
   懐しの昭和30〜40年代。戦後日本の思春期時代にちょうど青春だった僕たち。すべてが躍動していたし、いつだって感動していた。もう二度と僕たちのビートルズや長嶋茂雄は現れないけれど、こんな素敵な人達がいたことは伝えておきたいんだ。そう、町っ子高田文夫の戦後芸能スポーツ文化グラフィティ

図説団塊の世代史:中部リサイクル運動市民の会(90年発行)、tel052-931-4000
日本における自殺の精密分析:東京都立衛生研究所年報,50巻,337-344 (1999)
戦後50年の労働問題(データ集):法政大学大原社会問題研究所
団塊の世代諸君:ナユタ出版会(1985.11発刊)
新潟発団塊の世代史:蓑輪紀子著、地方小出版流通センター
けんちゃんの吼えるウォッチング(高知シティFM)
見えない若者市場より見えてる団塊市場を狙え!:博報堂市場開発局・井徳正吾著、はまの出版
静岡新聞(2003.7.21朝刊)コラム「大自在」
ビジネスリーダー・シリーズ「高齢化大好機」 堺屋太一著 NTT出版 2003/4 244pp 1,300円(本体)
団塊の世代と個人消費 − 供給要因、心理要因からの示唆 − (経済研究フォーラム資料 2003.4.8)
静岡新聞04.05.04夕刊「窓辺」・・・・東京電力理事沼津支店長 梶 文雄氏
団塊世代の消費、国内旅行が人気」、インフォプラント調査
キャンピングカー産業が団塊世代をターゲットに(英文:Japan Times Aug. 12 2004)
進路問う、この国の「還暦」−人心もてあそんだ玩弄の60年に終わらせるな(静岡新聞2005年1月1日社説)(PDF)
静岡新聞2005年1月11日朝刊コラム「大自在」・・・憲法&団塊の世代
静岡新聞2006年9月1日朝刊コラム「大自在」・・・それていいのか蕎麦打ち男
静岡市暖快倶楽部(静岡市の団塊の世代向け施策の紹介:朝日新聞10月3日、地方版 13版 静岡2)


団塊の世代  堺屋太一著 講談社
 昭和51年11月5日に第一刷が発行され、同55年1月30日には11刷を数えたベストセラー。
 来るべき軽薄短小型経済、ブランド社会などの来るべき世相の中で、団塊の世代を描いた。
 コンビニエンスストアを日本に導入しようと奮闘するサラリーマン、自動車メーカー社員、銀行員、官僚などを主人公に詳細なデータを駆使してドキュメントタッチで問題を提起している。
  序文紹介
    1960年代の「若者の反乱」は、
    戦争直後に生まれた人口の膨らみが
    通り過ぎる風であった、
    かつてハイティーンと呼ばれ、
    ヤングといわれた、この「団塊の世代」は、
    過去においてそうであったように、
    将来においても数数の流行と需要を作り、
    過当競争と過剰施設を残しつつ、
    年老いていくことであろう。
       
ヤセガエル症候群 日経ビジネス(1996年7月29日号)
 −ミドルを襲う「心の病」、会社との関係を見直す好機−
 ヤセガエル 負けるな一茶 ここにあり−−−疲れた蛙(ミドル)が柳の枝 (出世)に跳び付こうとする、見ている一茶(会社)は傍らで自らの心情を託し て応援する、の図。だが痩せ蛙は跳び付くのに失敗すればうつ病などの落ち込み が懸念され、成功しても一段高い枝に跳び付くことを求められ、燃え尽きる。そ れでも跳び続けるしかない日本の中高年ビジネスマンの精神疾患は、「ヤセガエ ル症候群」といえる。
 こうした精神の受難は、企業組織やシステムの構造変革に伴う歪みから、ひ どくなる一方。いま、社員は会社人間を返上し、会社のとの関わりを再検証すべ きであり、産業医は精神疾患をタブー視せず企業と密接な連係プレーを進めよう 。企業は終身雇用や年功序列の是非論とは別に、「人を活かす」観点から問題を 見つめ直さねばならない。
       「日経ビジネス」創刊27周年 特別編集版1996年10月発行 より


2005年食市場を予測する−生活の視点から−
        酪総研 1996年12月号
        雪印乳業 営業企画部 担当副部長 槐 早苗氏

 社会情勢の変化が食品市場にどのように関わっていくかを論じている。  その中で、2005年までの変化を統計的に超高齢化社会の顕在化、団塊ジュニアの家族形成、若年労働人口の減少、出生数のピーク、ととらえている。
 食市場のマーケットリーダーは団塊の世代から団塊ジュニアとニューシルバー層で、団塊の世代はこの両者に挟まれた世代で、団塊ジュニアとニューシルバー層のサポーター的存在で活力は相対的に低下し却って、2005年に60代に到達しているニューシルバー層(昭和21年生まれ以前)と団塊ジュニアが高い活力を持っており注目すべきと述べている。
 (酪農総合研究所 tel<011>271-3851)

平成7年度国民生活白書
第2節 中高年世代の価値観
意識を形づくるものとして、物心ついたときの豊かさ、育った地域、受けた教育、働いたときの状況などが考えられる。これらに注目しつつ、各世代の特徴をみていこう。 (戦前世代の生活体験と価値観) 戦前世代(1935 〜39年生まれ、現在56〜60歳) は、0〜4歳に3大都市圏に居住していた割合は37.0% であり、戦中時に疎開等でその他の地域へ転出しているが、その後徐々に3大都市圏に転入し、都市に仕事と住居を求めた世代である。住居について、東京圏を例にとって、現在、世帯主の持家率をみると都心から0〜10km帯で5割、20〜30km帯で7割以上を占める(第I−4−13図)。 意識をみると、現在の日本について「福祉が充実している」とする意識が高く、「伝統や慣習にはそれなりの意味があり、できるだけ大切にすべきだ」などの意見が高い。「家族や会社のために、自分が犠牲になって頑張ることは素晴らしい」と考える反面、社会経験の豊富さゆえか、「あまり他人を信用すると馬鹿を見る」という意識も高い。 この世代は、終戦を5〜9歳の時に迎え、神聖とされた教科書にスミをぬり、60年代の高度成長と耐久消費財のブームを支え、より多く働きより多くむくいられた世代であり、将来の年金という形でも福祉の恩恵を受けている。 (団塊世代の生活体験と価値観) 団塊世代(1945 〜49年生まれ、現在46〜50歳) は、0〜4歳に3大都市圏に居住していた割合は32.8%であるが、15〜19歳では45.1%、20〜24歳で53.5%と、就職就学時期に3大都市圏に転入している。世帯主の持家率は、東京圏を例にとると、現在、5割を超えるのは20〜30km帯からであり、40〜50km帯でやっと7割となる(第I−4−13図)。 意識をみると、「福祉が充実している」という意識が低く、「物事をマジメに考えるよりも、適当に楽しく生きて行った方がよい」という意識が一番低い。 この世代は、戦後の民主主義、新制教育の中で生まれ育ち、父の背中で街頭テレビを見た世代であり、1960年頃の集団就職、60年代末の大学政治運動でも中心的な役割を担っている。経済は安定成長期に入っていたが、賃金はそれなりに上昇した。しかし、ホワイトカラーは現在リストラの対象とされ、年金の将来についても不安をいだいている。 (新人類世代の生活体験と価値観) 新人類世代(1960 〜64年生まれ、現在31〜35歳) は、0〜4歳に3大都市圏に居住していた割合は44.6%であり、半分近くが大都市生まれということになる。世帯主の持家率では、都心からの全距離帯で戦前世代、団塊世代よりも大きく低下している(第I−4−13図)。 意識をみると、団塊世代とともに「福祉が充実している」意識が低く、個人の生き方では他の世代に比べ「この世には自分しか信じられるものがないと感じることがある」という意見の割合が低い。 この世代は、「所得倍増計画」とともに生まれ、豊かになりつつある社会で育ち、進学率が上昇し、落ちこぼれが話題とされる中で教育を受けている社会に出てからは、男女雇用機会均等法など女性の社会参画が話題とされる中で働き始め、男性は結婚難時代を迎えている。 

平凡パンチの時代−マガジンハウス編                
静岡新聞1967.1.19朝刊、書評
 1964年、新時代のにおいを濃厚に漂わせて登場し、大衆に異常なほどの熱気で迎えられた週刊誌があった。旧平凡出版、現マガジンハウスから男性向けに創刊された「平凡パンチ」。甘酸っぱい胃懐かしさを覚える人は多いだろう。本書は関係者へのインタビューや当時の記事なとを駆使し、11年の業績を克明に振り返る。  その時代は、高度経済成長により社会がすさまじく変化し、ゆがみが露呈。反体制と体制が激しく衝突した時代でもあった。  同誌は一見、めちゃくちゃに見えるアナーキーな編集方針によって個性的なスターを輩出した。本書で「今日があるのは『平凡パンチ』のおかげ」と語る角界の第1人者の中には当時グラフィックデザイン界では異端児扱いされた横尾忠則や玉美大卒業したての大橋歩、直木賞受賞前夜の野坂昭如などの顔ぶれも。  テーマの三大柱は「女性(セックス)・ファッション・車」だった。雑誌界で先駆的に取り組んだことも数多い。風俗中心だった性情報を、人間の生き方の問題として、あるいは科学的、技術的に紹介したこと。世界旅行がまだ困難な中、現地取材し、大好評を博した斬新なイラストルポ。今見ても新鮮さを感じさせるビジュアル化など。アイビールックの流行も生み出した。  横尾がメジャーになった自分を解体しようと、紙面に人騒がせな自らの死亡広告を出したことなど、具体的なエピソードは、この時代の雰囲気を象徴していて興味深い。  しかし、作家三島由紀夫の衝撃的な自決と相前後し、雑誌の周辺に渦巻いた熱狂的なエネルギーも沈静化。70年代には、紙面のマンネリ化や読者とのかい離もすすみ、「ポパイ」などお背だ胃交代を余儀なくされた。  手前みそ的な表現が若干鼻に付くが、この雑誌の歴史的意義を思えば致し方ないだろう。                       (マガジンハウス・2900円)

将来推計人口
 日本の総人口は、2007年の1億2千七百八十万人をピークに減少に転じ、2050年には、一昨年の人口1億2千五十七万人より、2千五百万人少ない一億五十万人になる見通しで、五年前の予測を上回るペースで出生数の減少、高齢化が進んでいる。

週間目録20世紀
 講談社刊、毎週火曜日発売。当時の世相、事件、出来事など写真を主として紹介。創刊号は1959年を扱った。創刊号から品切れになり、増刷。

プレジデント、1997年2月号
 特集、「男50歳の価値観」−団塊の世代、頑張る−
 「企画化された幸福」からいかに逃れるか青春、朱夏そして実りある白秋へ・・堺屋太一
 闘争は大学から国会へ”団塊議員”が日本を変える!?・・・プロジェクト猪
 「強引、我儘」は我らの褒め言葉!?・・・・加藤仁、泉幸辰、泉谷直木
 「出る杭を打つことに懸命な」団塊の先輩達・・・・・西山和彦、新波剛、北上真一
 40代で取締役の座に駆け上がった男の輝き・・・江坂彰
 ルポルタージュ・負けない50歳−われらリストラ越冬隊−・・・・岸宣仁
 「人生の曲がり角」に俺は翔ぶ!−「人生二毛作」中間報告−・・・葦田万
 「理念で結婚した」不揃いの夫婦が辿り着く「離婚という本音」・・・円より子
 専業主婦を強いられた妻たちの「義務と演技の部分」・・・岩間夏樹
 島耕作と浜崎伝助−共感を呼ぶビジネス・ヒーロー像はどっち?・・・伊藤雄一郎
 泣けて、惚れて、夢を見て。心にしみいる”中年小説”の傑作・・・・池上冬樹
    

毎日新聞98年10月8日12版9p
98年国民生活白書
堺屋長官"肝いり"編集へ
「団塊の世代」…その後を活写
経済企画庁が準備を進めている1998年版国民生活白書は、堺屋太一長官の肝いりで小説「団塊の世代」の続編と呼べる内容に
なりそうだ。この世代に象徴される人口構造変化を基礎に、雇用や高齢化問題を分析、21世紀の展望を示す。長官の細かい指示
で作業量が膨れ上がり、発表は昨年より1ヶ月遅れの12月初旬になる予定だ。
 団塊の世代は戦後のベビーブーム期(47年〜49年)に生まれた。この人口の膨らみは、中心が今年50歳となり、2010
年までには定年退職を迎え、高齢化に拍車がかかる。小説は、75年に執筆、80年代から2000年までを舞台に人間ドラマを
描いた。この中で予測した管理職のリストラや世代間の利害衝突は現実となった。
 生活白書で長官は、「その後の2000年以降のの展望を示したい」と担当局に指示、消費や就業など経済構造に与えた影響を
さまざまな角度から分析する。高齢社会は「子供が少なくなれば一人一人の資産は確実に増える。貧しい社会と考えるのは必ずし
も正しくない」(著書・危機を活かす)、など持論を踏まえた内容になりそう。その上で「消費者主権」の政策などを主張、「エ
ンジョイできる社会」づくりなどを提言するとみられる。低成長経済や年金問題など悲観的なイメージが先行する高齢社会だが、
長官は今回、政策責任者としての指針づくりで手腕を問われる。【高橋秀郎】


静岡新聞トークバトル欄
【見出し】 定年・・・見える本当の年齢 団塊世代の団結にエール
 団塊の世代にとって忘れられない1968年。(編集者註:昭和43年、私が大学3年になった年)
 この年に私は小学2年で逆上がりができないハナタレ坊主だった。エンタープライズの佐世保入港反対運動や成田空港建設反対運動、大学運動が激化した。経済企画庁長官の堺屋太一氏が名づけた団塊の世代という言葉は戦後のベビーブーム世代、別名、全共闘世代を指す。
 既成の価値観を否定し、乗り越えて自分たちのビジョンを信じ、発見しようとした1970年前後おカネもモノも無く、空腹の中に、美食のかわりに友だちと語ったロマン。68年から30年たったが時代はどんどん変わってもそれぞれに受けたカルチャーショックが原点なのではないか。
 私は彼らにあこがれ79年に上京したが、そこには学生運動はなかった。ニューサーティと呼ばれ、時代のエースのように呼ばれモーレツに頑張った彼らも、バブルがはじけ会社でのポストレスやリストラの対象とされた。山一証券の倒産では仕事と家族の間で悩む先輩たちに胸が熱くなった。
 だけど人生は終わったわけじゃないし、人生もうひと花咲かせてほしい。苦しいことがあったら68年の学生運動で闘った日々を思い出してほしい。私のような新人類と呼ばれ三無主義の世代に比べると、あなた方には同世代の団結とたくましさがある。倒産、リストラ、出向に負けないで頑張ってほしい。

団塊の世代へのアンケート調査
(1989年と1998年の比較・博報堂生活総合研究所)
(静岡新聞1999年1月1日、61ページ掲載)
 

朝日新聞読者のページ(平成12年12月25日、朝刊)
テーマ投稿「団塊の世代」

復興できるか神戸のように
    NGO代表 岩田薫
      (長野県47歳)
「怖かったよ」どポツリ。今も私の脳裏を、団塊の世代だった義兄の言葉がよぎる。
阪神大震災から一週間後、救援物資入りの重いリュックを背負い、神戸の都心に向か
った。末期がんを宣告されていた当時四十七歳の義兄は、崩壊した街に奇跡的に残った
病院で私たちを迎えた。
 義兄はかつて大学で学生運動を通り抜け、商社の海外駐在員も経験するなど第一線で
働いていた。しかし、肺がんを発病後は強い治療薬のせいか意識がほやけ、家族が避難
所暮らしをしていることも正しく理解していない様子だった。そして、震災からニカ月
後、静かに息を引き取った。
 私にとっては、団塊の世代とは義兄を指す言葉だった。崩壊した文明社会のがれきの
中での義兄の死。日本社会が大きな曲がり角に立たされている今、私には、団塊の世代
が震災直後の街のごとく値値観を喪失し、元気を失っているように見えててならない。
 復興を遂げた神戸のように団塊の世代がもう一度パワー取り戻すことはあるのだろう
か。義兄の七回忌を前に、そんな感慨にふけった。

お手本ずっと頼もしい先輩。
     主婦 元満素子
       (神戸市 42歳)
 ずっと、四十代の女性というと、老けた「おばさん」と思っていた。ところが、十年
ほど前、私が髪を振り乱して子育てに追われていたころ、かつてアイドルだった女性た
ちが、四十代の美しい大入としてテレビに再登場した。
 そのお嫡様方は、団塊の世代と呼ばれる頼もしい先輩方だ。先輩が時代を次次と変え
てくれるお陰で、今の私は四十代の女性をちっとも「おばさん」なんて思っていない。
 今ちまたには、女性は五十代から・・・というキャッチフレーズがあふれ、五十代を
ターゲットにした、おしゃれな服や化粧品が売られている。私にはどんな五十代がとワク
ワクし、四十代の今、未熟な自身を何とかしたいという意欲がわいてくる。
 ちちなみに、夫も団塊の世代。 大勢にもまれて競争し、いろいろな個性を育てあったの
か、「骨」を感じる。私たちを刺激し続けてくれた世代には、今後もさっそうと一時代
先を歩んで、お手本を示して欲しいとお願いしたい。

福祉の現場で苦労重ねる夫
      主婦 外場のりこ
   (静岡県53歳=仮名)
 夫、五十六歳。知的障害者のための施設で、施設長として、常に利用者の生活第一、
職員の質向上、待遇改善にと努力している。お陰で我が家ほ今時の超貧乏。それでも、
子供たちは施設の中で利用者の方と一緒に暮らしながら一人前に巣立っていった。この
ことは私たちの宝物である。
 そんな中、最近の夫に無理をしている様子が見え、とことん話をすると「やはり」。
社会福祉事業法の改正が、夫の仕事にも方向転換を迫り、これまでの仕事を否定される
内容もあるらしい。自己決定が難しい利用者の方にとっての最善策は、そのためには自
分はどう動げば、自分の信念を曲げず進むには・・・と、つらい思いていたようだ。
 福祉見直しは、年金をはじめ多くの分野で従来の制度を支えてきた団塊世代が、間も
なく支払い側から受け手に回ることが影響している。その意味で、団塊の一員である私
にも無縁ではない。
 いつも前向きな姿勢と責任感の強さに、尊敬の念すら持つ夫にストレスがたまりませ
んようにと、旬の食卓を用意して待つしか私にはできないのだろうか。疲れた夫の寝息
を確かめながら、短絡的な福祉行政への怒りを、関係者だけの問題にせず、もっと広げ
た話題にと考えている。

散々だけれどまだまだです
  会社員 中永 千津子
     (長崎県51歳)
 私たちの世代は、ある意味では本当に大変な時代を生きてきたのたど思う。
 人数の多さで、消費、生産の両面て日本経済を支えて来た。しかし、数年前だが、あ
る企業トップが「団塊の世代が定年を迎える時には、余剰人員が減り日本経済が好転す
るだろう」との趣旨のコメントをした。腹立ちを覚えた。
 不況でリストラの憂き目に遭っているのもこの世代であり、競職難にあえいでいるの
も団塊ジュニアだちである。年功序列型のピラミッドの底辺を支え、やっとピラミッド
の上部にたどり着いたと思ったら、足元から崩れかけているの見えるなんて・・・・。
 同じ世代の夫いわく、「いつも多くの仲間がいると思うと心強かった」。二十一世紀
には老いに向かってまっしぐらの世代だけれど・・。まだまだ頑張れます、そうですよ
ね、名付け親の堺屋太一様。

ゆっくり歩き豊かな老後を
      主婦中村治子
     (横浜市 53歳)
「昭和ひとけた世代」がある種の響き持って語られるように、「団塊の世代」も様
々な響きを持って語られる。
 小中学校は一学年十クラスを超え、一クラス六十人近くがひしめき合い、「ゆりかご
から墓場まで競争」といわれて育った。ても、それが当たり前と思っていた。
 女性の自立は財布からと、当然のごとく仕事を持ち、結婚もした。保育園なり、学童
保育なり、必要なものは正当に声をあげ、同じ要求を持っている人たちと力を合わせて
つくってきた。
 そして、意識するしないにかかわらず高遠道路を走ってきた私たちの中に、このまま
走り続けることに疑問を抱く人が出てきた。途中下車する人が出始めた。車をやめて歩
き出す人も出てきた。私も福祉にかかわるため三年前に退職し、途中下車した。
 団塊の世代の一つの特徴は自分だちに必要なものをつくってきたことだろう。これか
ら込み合う墓場をつくる前に、私たちは、ゆっくり歩みながら、豊かな老後を過ごす社会
をつくれるのだろうか。

団塊はずしが始まった
朝日新聞社 アエラ 2001年2月5日号

60代から40代へ。トップがいっきに若返りそうだ。50代前半。団塊世代。すっ飛ばしは、中堅層にも広がる。
ほかの世代を圧倒する頭数の多さ。横並びで高度成長を、バブルを下支えした。それなのに、である。本人ら
はネット上で嘆いている。  編集部 片桐圭子

 今年一月十五日、データベースソフトの大手、日本オラクルで新CEO(最高経営責任者)として新宅正明
社長が就任した。四十六歳。六十歳を目前に控えた佐野力会長が経営の全権を譲ったのだ。新宅氏は二〇
〇〇年に年上の役員を飛び越して、社長になっていた。順当な人事とはいえ、四十代のうちでのCEO就任を、
関係者は驚きをもって受け止めた。

 企業コンサルタント大手、ボストンコンサルティンググループの元社長で、現在、ベンチャー企業支援のドリー
ムインキュベータ社長の堀紘一さん(55)は、
「今後五年間で経営トップの世代交代は次々に起こる」
 と断言する。

「ぼくには、これからは四十代がリーダーになれるような組織じゃないと伸びていけないという危機感がある。
世の中の変化がここまで幾何級数的に激しくなれば、ついていくのは五十代でも難しい」

 ソニーの出井伸之会長(63)が、
「次の経営者には四十代を」
 と繰り返し、注目を集めたのは昨年五月のことだ。

 後継社長に安藤国威氏(59)を指名し、会長に就任した直後のことで、「次の」というのは安藤氏の後任の
ことになる。実際、出井会長は、同年二月にインターネット直販を行う子会社、ソニースタイルドットコム・ジャ
パンを設立した際は、当時四十三歳でソニーマーケティングの統括部長だった佐藤一雅氏を社長に抜擢し
ていた。

●30代役員も続出
 企業トップが五十代前半を飛び越えて、四十代に移る。五十代前半。四七年から四九年までの三年間に
生まれ、前後の世代よりも三割から四割も多いと注目され続けてきた「団塊の世代」。その「団塊はずし」が広
がっているのだ。

 アメリカでは、ゼネラル・エレクトリック(GE)で六十四歳のジャック・ウェルチ会長の後任に、四十四歳のジェ
フリー・イメルト氏が指名された。
 広報担当者によると、同社にはある程度、長期間にわたって経営者の職を務められるよう、若手を後継者に
選ぶ伝統がある。最重要視するのは能力だが、同じ優秀な人なら若い方を選ぼうという考え方が、浸透してい
るという。

 そうした傾向は、国内も決して無縁ではない。
 企業トップだけではない。
「ユニクロ」ブランドでカジュアルウエア市場を席巻するファーストリテイリングでも、九七年から九九年に至る三
年の間に、柳井正社長(51)自身を除く五十代の役員は退社、もしくは監査役に退いている。新たに入社した
り、社内から登用されたりして役員になったのは、三十代と四十代の若い世代。同社の業績の急拡大は、この
役員若返りと時を同じくしている。

 経済ジャーナリストの財部誠一さん(44)は、日産自動車でカルロス・ゴーン社長(46)が行ったことも、立派な
団塊はずしだ、と指摘する。
 昨年九月中間連結決算で成果を出したとされる、経営立て直しのためのリバイバルプランの八割は、若手の
間にもともとあったもの。ゴーン社長がしたことは、中間管理職ではなく現場の声を拾い、目標をより高く設定しな
おしたことだ。

●退職に手厚い特典
 プランを実行したのももちろん若手社員。団塊世代の中間管理職を通さなかったことが、実現への近道だった
、と財部さんは見る。

 その意味では、トヨタ自動車が二〇〇〇年二月に発売した若者向けツーボックス・カー「bB」も、「団塊はずし」

を体現した商品だと言える。チーフエンジニアは四十六歳で、角張ったデザインを考案したが、年長の社員から
「なんだこの車は」の声があがった。

「この車はわれわれのような世代が論評すべき車ではない」
 と言ってこうした声を押しとどめたのが、六十代の奥田碩会長(68)だったという。財部さんは、
「現状を打破する答えは、現場に必ずある。それが経営者に届かないのは、間に団塊がいるからです。中間管
理職は常にそういうものかもしれませんが、いま現実にそこにいるのが、団塊の世代なんです」
 という。

 国内自動車四位のマツダでは、二月に千八百人の早期退職者募集を行う予定だ。対象とするのは、間接部門
の社員一万人で、高年齢層を減らし、より若い層を増やすため、年齢に応じたインセンティブ(特典)が退職金に
プラスされる。もっとも手厚いインセンティブを与えられているのが、「団塊世代」だ。

 会社として、
「一番辞めて欲しいのは団塊の世代」
 ということになる。

●5年間年収半分を保証
 マツダがこの世代に対して「早期退職」を提示するのは、今回が初めてではない。
 一九九九年秋には、五十歳以上の管理職社員千二百人を対象に、退職を前提とした五年間の「有給休職」取
得者を募集した。
 五年の間に転職先を探したり、転身のための資格を取得したりしてもらうのが狙いで、休職期間中は休職前の年
収の半分を保証する。現在、この制度を使って数十人が休職中だ。

 同時に、役員に占める五十代の割合も減っている。
 バブル崩壊後に経営が悪化し、九六年にフォードの増資を得たことを受けて、九七年に人事システムを改革、人
事評価から完全に年齢の概念をはずした。柱は、将来の経営者候補と見込んだ社員を、早ければ四十代前半で
役員に登用するべく育成する欧米型の能力主義だ。

 以来、現在までに誕生した五十歳未満の取締役は九人に上り、九七年から二〇〇〇年までの三年間で、全取締
役に占める五十歳未満の比率は、一三%から二七%に増加した。

 逆に五十歳代の割合は、七四%から五五%に減少している。
「意図的に冷遇しているわけではありませんが、確かに五十代社員の受け皿がなくなっていますね」
 とマツダ広報担当者も認める。五十代社員に不満はないのか。
「まったくないと言えば、うそになるでしょう。ただ、予想していたよりは受け入れられているようです。社会全体が、同
様の状況にありますから」

●団塊救済策も登場
 前出の財部さんは、団塊の世代のすぐ下にあたる。自身の経験から、
「団塊の世代は、発展途上国型の人材です」
 と断じる。フリーランスのジャーナリストとして雑誌に記事を書き始めたころ、記事の内容よりも「書き方」や「取材の
仕方」などの「流儀」について講釈するのは、決まって団塊の世代だった。

 出演するテレビの討論番組でも団塊世代の画一的な反応にうんざりしている。
 企業をほめると、「ほめすぎだ」「金をもらっているのか」という声が必ず返ってくる。
「企業というものは批判しなければならない、という固定観念に縛られているんですね」

 団塊世代は、進むべき方向性がシンプルに規定されているときには横並びで能力を発揮するが、多様な価値観を
受け入れる先進国型の社会、先進国型の経済成長にはついていけない。財部さんはそう言うのだ。

 さくら総合研究所は、九九年九月一日付で団塊世代についてのリポートをまとめた。タイトルは、「『団塊の世代』再
考――その軌跡と今後」。内容は、事実上、この時点で「団塊はずし」を予想し、「団塊の世代救済策」をまとめたもの
になっている。まず、
「ほかの世代に比べて人口の多い団塊世代は、バブル崩壊後の景気低迷の中で五十代を迎えることから、企業にお
いて大幅な人員削減の対象になっている」
 と指摘。団塊の世代に対し、第二の人生のスタートを六十歳ではなく四十代後半から五十歳と認識し直す必要性を
説く。

 その上で、この世代を高齢化社会のけん引役と位置付けて、「団塊の世代活性化対策」を提案しているのだ。

 提案では、
「第二の人生が始まったあとの十年間もしくは十五年間、労働市場にとどまっていられるか否かが、豊かな老後を迎え
るためのかぎである」
 とし、個人や企業が取りうる対策を挙げている。

 個人に対しては、過去の栄光や肩書にとらわれないこと▽自分の能力を再評価すること▽起業を視野に入れること―
―などを勧めている。

 企業に対しては、自立・起業支援策を組み合わせた早期退職制度の創設などを提言し、社員の能力開発の支援も、
企業が取り得る対策として強調する。

 団塊の世代に属する人は、現状をどう考えているのか。
 四八年生まれ、五十二歳の天野忍さんは、同世代の人たちに昔の野心を取り戻して欲しいというメッセージを込めて、
「団塊の世代」と題するホームページを作った。

 そのなかでは、「大量消費の世代」「時代のリーダー」と持ち上げられて生きてきたのに、ここにきて邪魔者扱いをされ
ていることへの疑問とともに、
「おれたちゃ一体何してきたのか」
 と自己を見つめなおす姿勢が垣間見える。

●豊かで日和った
「大学時代は、学園紛争の現場で石を投げていた。下の世代は、社会や会社を変えてくれるとわれわれに期待していた
でしょう。でも、ぼくたちはその期待を裏切ってしまいました」
 と天野さんは言う。だから、邪魔者扱いも致し方ない、と。

「時代を変えようと意気込んで社会に出てみたら、そんなことしなくても、生活はどんどんよくなったんです」
 天野さんが社会人になった七〇年代は、高度成長期のまっただ中。周囲と同じことをしているだけで、数年のうちに給
与が倍増した。日米安保でもベトナム戦争でも、日常生活が脅かされることはなく、気が付いたら社会は豊かになってい
た。その結果、社会に日和ってしまったと天野さんは言う。

 リストラの危機にさらされているマツダの五十代社員。彼らでさえも、自分たちに対する処遇を否定的には受け止めてい
ない。相応のインセンティブがあることで、逆に前向きにとらえる人さえいるという。

 頭でっかちの年齢構成が、会社の財務を圧迫しているという意識は早くからあった。社長からの電子メールで、会社の経
営状況がつぶさに報告されていた。
 だから、いずれリストラが行われることは、十分予想していたというのだ。

 ある五十代社員は、二月の早期退職者募集に応えるべく心構えをしている。
「今回の早期退職者募集が発表されても、驚きはありませんでした。来るべきものが来たという感じです」
 と話す。

 リストラを予想して、数年前から今後のライフスタイルも見直してきた。静岡県熱海に家を建て、いまはそこから東京・日比
谷のオフィスに通う。

●その後「わからない」
 本当に応募した場合は、雇用保険の出る十カ月間は、まずゆっくり休むつもりだ。小さくても自分の持ち家がある。空気が
きれいで魚のおいしい、温泉のある場所で、家族を大切に暮らしていきたいという。
 その後は起業を考えているが、「まだ具体的にはわからない」。

 リストラ策を提示する企業の側が、それなりのインセンティブを用意することと、五十代社員が日本的ビジネスマンの画一的
成功イメージを捨てること。この二つの重要性を、さくら総研のシニアコンサルタント小屋知幸さん(38)は指摘する。

 小屋さんは、
「団塊世代は高度成長期の成功体験をぬぐうことは困難かもしれない。しかし、ぬぐわなければこの先の変化には手を打てな
い時が来ているのです」
 と話した。

「団塊世代」名付け親、堺屋太一さん(65)に聞く
90年代の低迷の象徴
自らの30年の破壊を

 団塊の世代は、生まれた時から社会の流れに従順に育った。高度成長期には新入社員として、省エネルギーや環境対策
が求められた時には熱心な社員として社会の要請に順応した。学園紛争も、それはそれで時代の要請だったといえるだろう。

 彼らの従順な性格が遺憾なく発揮されたのは、一九八〇年代のバブルの時期だ。部課長級の管理職になっていた団塊の
世代は、疑うことなく、日本経済の拡大と活況と投機ブームに乗ってしまったと思う。

 この順応の精神が、バブル景気を批判する能力を乏しくしたのではないか。団塊の世代の中に、みんなと同じでいようという
日本的集団主義が純粋培養されている。

 ところが時代は、多様な知恵の時代へと変わりつつある。団塊の世代がこれまで三十年間、積み上げてきた技量と組織人
脈の価値は、すでに失われている。

 いまや、団塊の世代は九〇年代の低迷日本の象徴であり、またその低迷の雰囲気を、自ら一番強く持っている。日本経済
に対する悲観論、システムに対する否定的考え方に、色濃く染まってしまった。経済を立て直し、将来の文明を作り出そうとい
う創造力が乏しいのではないか。

 ところが、いま六十代の経営者が求めているのは次の改革者であって順応者ではない。団塊の世代ではなく、未知数である
四十代にかけようとしているのかもしれない。四十代が求めているのは順応や従順ではなくして、トップダウンで明確な意思表
示をしてくれる経験豊かな改革者だ。それには、順応型に生きてきた団塊の世代では物足りない。だからむしろ、四十代として
は六十代に引き続きトップにいて欲しいわけだ。四十代が六十代の経営者に頼ろうとするのは少し情けないことだが。

 そもそも、団塊の世代の中には、個性と変革の時代にリーダーとして目立つ個人がいない。彼らがすべきことは、順応の三十
年間を自ら破壊することだ。

10年後のシニアは「デジタル化」「グローバル化」が進展
−電通、「団塊の世代の特性分析と10年後の60代シニア像予測」を発表−
 電通は「団塊の世代の特性分析と10年後の60代シニア像予測−コーホート分析を用いて−」レポートを発表した。同レポートは、50歳以上のシニア市場の牽引役と考えられている「団塊の世代」に焦点を当て、団塊の世代ならではの特徴と、さらには団塊の世代がリタイアを迎えシニアマーケットの中心層をとなったときの「10年後の60代の姿」を予測したもの。
 シニア層を分析する際、常に課題となるのが、ある行動や意識が「世代」の特徴によるものなのか、それともある年齢に達すると皆そうなるという「年齢」によるものなのか、というポイント。そこで同レポートでは、一連の時系列データに現れる生活者の意識や行動の変化を、3つの効果に分離する「コーホート分析」という手法を用いて、主に団塊世代に特有の「世代(コーホート)効果」に主眼を置いて分析した。
 分離した効果とは、世代や時代に関わりなく、人間の生理的な加齢やライフステージによって変化する部分「年齢効果」、年齢や世代を問わず、社会全体の動きとして変化する部分「時代効果」、年齢や時代の変化以外の、生まれ育った時代環境によるその世代固有の特徴「世代(コーホート)効果」の3つ。
 さらに、団塊世代の特徴を数量的に把握すると同時に、団塊世代よりも10年ほど年上にあたる「1936年〜1940年生まれ」(2000年時点での60代前半)に見られる世代効果と比較することで、約10年後(2010年)団塊世代が60代前半になった時に起こるであろう変化を予測している。
 同レポートによる、団塊世代に特有の「世代(コーホート)効果」に着目すると、いくつかこの世代の特徴が浮かび上がってくる。「仕事よりも私生活を重視」する傾向、レジャー志向の高まりは、まさに団塊世代を起点として増加傾向にある。高度経済成長期を経て、徐々に私生活の豊かさに目が向き始めた頃に社会人となった団塊世代の特徴が現れている。
 食生活においては、食の簡便化/合理化の進む中で「手抜き志向」と「手間志向」の狭間にいるのが団塊世代で、「進化する良妻賢母型」とでもいうべき食価値観を彼らが持っていることが見て取れる。ファーストフードやインスタント食品が導入される時期に大人になりかけ、結婚当初から生活に必要な家電を持つのが当たり前であった世代の特徴が、データによっても裏付けられたといえる。また、自然に親しむ生活や自然のものに対する信頼などナチュラル志向が強いのは、この世代に際立った特徴。
 さらに、情報やメディアに対する態度も、団塊世代から変化している傾向が見られる。よく見るテレビ番組については、従来シニア層に強いと言われてきた伝統的な娯楽番組は団塊世代で関心が低下。特に団塊女性では、テレビ番組に対する満足感が低い傾向が見られる。
 一方新聞は、団塊女性を中心に「情報収集」のツールとして身近で大切なメディアとなっている。雑誌やラジオは、まさに彼らが青春時代に活性化したメディアで、団塊世代が先駆けになっていたり、より上の世代に比べて関わりが深くなってきていることがわかる。
 情報の内容に目をむけると、海外情報や文化、雑誌のお店紹介・旅行レジャーなどへの関心が前の世代に比べて高くなっており、積極的に生活を楽しむツールとしての情報を、団塊世代がより積極的に摂取している様子がうかがえる。
 また同レポートでは、団塊世代における「世代効果」と、10年ほど年上にあたる「1936年〜1940年生まれ」(2000年時点での60代前半)における「世代効果」とを比較分析することにより、約10年後(2010年時点)に団塊世代が60代前半になった時に起こる変化を予測している。
 それによると、団塊世代では現在の60代と比べ「アウトドアレジャー志向」や「グローバル志向」が強く、「デジタル化」がぐっと進んでいるなどの傾向が顕著に見られた。先に述べた情報の収集態度から見ても、10年後の60代シニアは自ら必要な情報を積極的に手に入れて生活を楽しむ術に長けた、いわば「生活エディター」となっていくことが予測される。
 こうしたことから考えると、シニアに対するマーケティング施策も変化を迫られていくことが予想される。加齢によって起こる諸問題への対応や、年長者への敬意をこめたアプローチが必要であることは変わらないとしても、現在の60代シニア層に対する施策をさらに1歩進め、海外文化も含めたさらなる情報コンテンツの充実や、好みに合ったレジャーや商品・サービスなど自らが選べる余地をさらに拡大するなどの工夫が必要になってくる。
s 今後、電通ではこの調査を基に、社内のシニア大航海プロジェクトを中心として、団塊世代を中心としたシニア市場開拓を目指す企業のマーケティング活動を支援するための提案活動を積極的に展開してゆく予定。

静岡新聞「大自在」(2003年7月21日)
  修学旅行の列車やバスの中で「あゝ上野駅」を聞いたものだった。集団就職の若者の心をとらえた大ヒット曲の歌碑が、二千万円えもの寄付を集めて建立されたという記事が出た。金の卵と呼ばれた人たちも今は還暦だろうか▼「亜麻色の髪の乙女」という曲が昨年よく歌われた。若者は、何十年も前のヒット曲とも知らず口ずさんだようだ。一九七〇年代に爆発的な人気を呼んだ静岡市出身のピンク・レディ復活のコンサートが先ごろご当地でスタートし大変な熱気だった▼エルダー(年長)市場という。CDなど音楽ばかりでなく「たそがれ清兵衛」のヒットで知られるように映画や演劇、書籍でも中高年の購買力を当て込んだ商品が次々と送り込まれる。特に社会構成の核となる団塊の世代が市場活性化の主役になっている▼戦後のベビーブーマーたちを、作家の堺屋太一さんが「団塊の世代」と命名した。彼らは事あるごとに世代論にさらされた。それぞれに確立した個性をひとくくりにするのは乱暴だが、期待の表れでもあった▼数が多い分、生まれた時から激烈な競争を強いられた。企業に入ればポストレス(役職数の不足)に甘んじてきた。高度成長の担い手はまぎれもなく彼らだった。目標にした豊かな社会は現実になり、その恩恵に浴そうかという段になると、閉塞の気配濃く抵抗勢力と見なされリストラの標的となる▼〇二年簡易生命表によると少子高齢化はさらに進んだ。団塊組が介護される側に回る日は近い。今のひ弱な社会が反映の貢献者を支えきれるか、その深刻さが周知しているとは思えない。もっとも彼らは斜に構え、世話になるものかと「高校三年生」でもハミングしているかも知れない。


「団塊世代の消費、国内旅行が人気」、インフォプラント調査

2004年08月04日 16時46分
インフォプラントは8月4日、団塊世代の消費意識に関する調査結果を発表した。現在の出費が最も多い項目は、男性が「外食費/飲み代」(46.5%)、女性が「洋服/靴購入費」(44.6%)となったが、今後支出額を増やしたい項目については「国内旅行」が男女ともトップになった(男:36.6%、女:46.6%)。また、世帯年収と支出額の関係を調べたところ、年収が高くなるほど「支出額が多い」という回答の割合が増えた。

将来支出額を増やしたい項目は、男女とも「国内旅行」が1位。しかし、女性は2位に「海外旅行」(24.0%)を入れたのに対し、男性の2位は「特にない」(24.4%)となり、「今後の消費増加について消極的な姿勢」(同社)という。現在大切にしている時間について尋ねたところ、上位2項目は男女ともに「趣味を楽しむ時間」(男:51.4%、女:54.0%)、「のんびりする時間」(男:43.2%、女:43.8%)という順。3位は男性が「夫婦で過ごす時間」(35.8%)だが、女性は「旅行/レジャーを楽しむ時間」(41.4%)。「夫婦で過ごす時間」を挙げた女性は29.4%にとどまり、男女間で6.4ポイントの差が開いた。60歳以降の生活については、1位が「趣味を楽しむ」(男:51.2%、女:57.6%)、2位が「旅行/レジャーを楽しむ」(男:45.8%、女:57.4%)。この質問でも、「夫婦で過ごす」が男性の3位(41.1%)に対し、女性は4位(35.4%)となり、意識に差があることがわかる。「夫婦で過ごす」と回答した割合は、年収400万円以下では26.9%、1000万円以上では48.2%と、世帯年収が多いほど高くなる傾向がある。

自分に介護が必要になった場合、女性は「介護の専門機関に入りたい」(61.4%)が圧倒的に多く、2位の「自宅で配偶者に介護されたい」(19.0%)を42ポイント以上引き離した。一方男性は、「介護の専門機関に入りたい」が45.6%、「自宅で配偶者に介護されたい」が41.4%という結果だった。

なお調査は、1947年〜1949年生まれの計1000人(男女それぞれ500人)を対象に、インターネットでアンケートを実施した。
■問い合わせ先
・インフォプラント C-NEWS編集室 電話:03-3367-1962
■関連情報
・インフォプラントのWebサイト http://www.info-plant.com/