私が幼稚園の頃から記憶に残っている猫は、白黒、トラ、三毛、白黒とこの白茶の5匹。すべて名前はミミ。
いずれも長生きだった。中でもこの白茶が一番長生きで、2005年の春で22歳になる。
静岡市の駿府公園に捨てられていた2匹の子猫と会い、その内の1匹を「飼う」と決めた。もう1匹はその場にいた小学生がどこかへ連れて行った。
最初に食させたのがマグロの刺身だったためか、マグロには目がない。それも種類や新鮮度に難があると食べない。この贅沢さはもしかして駿府公園だっただけに徳川家康の影響か。
2002年の夏、肛門腺が化膿し、敗血症になりかけ危うく命を落とすところだった。2004年3月末から元気がないと思っていたらまたまた肛門の周りが化膿していた。排膿、栄養剤の点滴、抗生物質注射、投与、軟膏塗布により10日ほどでほぼ回復した。肛門の周りは完治したが、その後何となく様子がおかしいと思っていたところ、耳が聞こえなくなっていることに気がついた。抗生物質の副作用か知れないが、もしそうならば手を施したのが自分なので、ミミには申し訳ないと思っている。
老獪で耳が不自由な猫になった今、眠くなると幼児のようにむずがり、ドラ声で騒ぎ出す。そして突然静かになり、先ほどの騒ぎは何だったんだと言いたくなるほど気持ちよく丸くなって眠りこけている。
妻の姿が見えなくなると家中を探し回り、トイレや風呂に入っているのに気づくと扉の前で座って待っている。いやはや、憎めない奴である。
左上下2枚は2001。右3枚は2004年8月撮影、毛繕いの回数・時間が減り被毛が粗剛になってきた。おそらく起きているのは1日2・3時間程度と思う。2005年9月30日永眠
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