ここに掲載する文章は黒沢先生が北海タイムスに連載された
「反芻自戒」というエッセイから抜粋した。

 反芻自戒  知行合一  油断大敵  天命を開け  自厳他寛  有言実行を
経済の真意  自分を知る  そうじ、手入れ  二人の村役場  花と実 
磨くほど見えるもの  心のゆとり
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反芻自戒
牛や羊はおおいそぎで牧草、雑草類をかみ取る。彼等は、食したものを第1胃に送り込み、暫時ここに貯め置く。次なる休息中、彼等は第1胃で,酵素によって粗消化されたものを、逆に口中に戻す。これを何回も何回も繰り返し、入念にはみくだき、ふたたび第2胃に飲み込む。これを反芻という。反芻動物に胃が4つあるのはこれがためである。反芻によって牧草、雑草等から貴重な栄養分を摂取するのである。
 これと同様に、われわれも日常ひとつひとつの事柄を、何回も何回も考え直し、思い直し、その事柄の中に潜在する真理を十分に咀嚼し、その神髄を会得し、もって、自己反省の資となすのである。
 かくすれば、人生行路において、誤りを最小限に防ぐことができると思うのである。このことを私は「反芻自戒」と命名したしだいである。
 日々、反芻自戒しつつ、己を正せば漸次、素行も改まり、誤りも尠くなると思う。これを人格の修練、陶冶というのであろう。
 当たり前のことを当たり前に行い、わかりきったことをわかりきったように行ない、日常、平凡なことを平凡に行うことがもっとも尊いことだ、と私は思う。反芻自戒は至極平凡なことを平凡に解説し、これを身につけ、実行に移そうとする場合の手引きに過ぎない
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知行合一
 心理は、誰でも知っている平凡なことである。知っていて行わないのは、知らないより悪い。知って行って、はじめて真に知ったことになる。
 これを知行合一という。知っていることを真剣に実行してうむことを知らぬ人が聖人君子である。
 いやいや行うのではなく、楽しみつつ行って感謝の生活を知る。
 むずかしい理屈を並べて得々たるは人間としてまだ子供の時代である。
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油断大敵
 油断大敵ということばがある。"油が切れる"ことは大敵であると言うことだが、我が社における油は何かというと、それは協同体精神である。
 搾取されても、搾取してもいけない。一社員が全社員のために、全社員が一社員のために喜んで働く、適材が適所について全力を尽くし、各人がおごらず、ねたまずという精神が、その油である。
 この油を切らさぬよう燃やし続けなければならない。                                                                                                                                                         
天命を開け
 『人事を尽くして天命を待つ』−誰でも知っている古い格言であるが、私は『人事を尽くして天命を開け』といいたい。
 その目的が正しく、その手段が正しければ、いかなる事も成就できる。
 一代で出来なければ二代にわたり、二代で成らなければ三代、四代にわたって努力を重ねれば必ず天命は開かれる。これが真のど根性である。土より生まれいで、大地に根をおろした根性である。
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自厳他寛
 自分に厳しく他にゆるやかにする−このむずかしい言行に、よくよく気をつけて努力し続けるならばついには習い性となり、りっぱな人間に成長する。
 もとより高い人生観に根ざすことは論をまたぬが、同時に日々の言行を常に反省し、その反省のくりかえしが人間鍛錬の日課でなければならぬ。千里の道も一歩一歩の積みかせねである。しかし寛といえども不正義に毛ほどの仮借も許されぬ。
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有言実行を
『不言実行は金、有言実行は銀、有言不実行はニセ金』と私どもは教えられた。いまでも真理ではあろうが、PRと世論の現代では有言実行が良かろうと思う。
 言ったことは必ず実行することを常識としたい。
 静かに音を立てて時を知らせる腕時計があれば便利だと思う。これが有言実行である。
 でたらめな時間を知らせて、自他に迷惑と損害を与えるのが有言不実行である。
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経済の真意
経国(国家経営)と済民(人民救済)−これを経済と略称している。近頃では経済人と言えば、銀行家、資本家、事業家など、政治や福祉事業には直接タッチしていない人たちをさしているように思う。いわゆる経済人が、経国済民を忘れて、それぞれの事業の利益に没頭するあまり、経済の真の意義が失われるようになったのではあるまいか。経済人たるもの、本来の姿に立ち返るべきである

自分を知る

『敵を知り己を知れば百戦危うからず』という。人生行路も同じことで、自分を知らなければ人生をまっとうすることは出来ない。
 己を知るということは本当にむずかしいことだが、その秘訣は自分が今こうして生活しているのは、自分の力ではなく、先人の努力の積み重ねと社会のおかげである感謝し、謙虚な心になることである。 傲慢と、思い上がりは身を滅ぼす悪魔である
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そうじ、手入
部屋の掃除、家具の手入れが行き届いていれば、その家の主婦の人柄がしのばれるし、家屋も家具も長持ちする。
 私たちの体も同じように、毎日掃除、手入れを怠らなければ健康で長生きもする。
 さらに大切なのは心の手入れである。私たちは、このことに無関心、無頓着すぎるのではないでしょうか。一人一人が心身の手入れをすれば社会は自ずから健康になり、きれいになる。
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二人の村役場
 デンマークの旅で、ある村役場訪れたところ、村長と収入役の二人しかいない。ぞれで全員だという。
 年間五,六千万円の予算で、大部分が土木費。工事は見積もり通り業者に請け負わせ、監督なしでりっぱにできあがるという。
 監督なしで大丈夫かと聞いたら、村長は笑って「業者は専門家ですよ」と言われ恥じ入った。業者は正直で責任を持つ、これがデンマークの常識である。
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花と実
美しい花とおいしい果実は、万人の等しく喜び好むところである。花も実も、良い根がなければ生まれない。良い根幹は良い土壌からでなければできない。これは平凡なわかりきったことではあるが、多くは花と実を得るのに急であって、土壌を作ることを忘れがちである。
 農業をはじめ、各産業、政治、教育、社会改造に至るまで、この道理をかみしめ実施すれば誤りはないのだが、花や実を得ることをあせり根本を忘れるので失敗するするのである。
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磨くほど見えるもの
すみからすみまで掃除が行き届いている家庭やホテルでは、ごくわずかのゴミでも気になり、目立つものである。磨けば磨くほどわずかのシミが目につく。人間の心も同じである。修行を積めば積むほど心の汚れが見えるから、さらに修行を積み、心のシミ取るのだ。
 ろくろく掃除もせず、汚れるままに放置すれば、よほどの汚れもきたなさも気にならず、平気で寝起きするものである。世の中もこれと同じである。
心のゆとり
 人は非常の事態に遭わねば真価はわからぬ。誰でも生涯には幾度か進退に迷うときがある。
 人の価値は、そういう場合の出所進退にありといっても過言ではない。平常はりっぱなように見えても、非常の時に進退を誤る人がある。
 それは心にゆとりがないからである。ゆとりを持つには,無私でなければならぬ。無私はその人の生まれつきもあるが、絶えざる反省と修養で得られるものだ。
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