『人事を尽くして天命を待つ』−誰でも知っている古い格言であるが、私は『人事を尽くして天命を開け』といいたい。
その目的が正しく、その手段が正しければ、いかなる事も成就できる。
一代で出来なければ二代にわたり、二代で成らなければ三代、四代にわたって努力を重ねれば必ず天命は開かれる。これが真のど根性である。土より生まれいで、大地に根をおろした根性である。
『不言実行は金、有言実行は銀、有言不実行はニセ金』と私どもは教えられた。いまでも真理ではあろうが、PRと世論の現代では有言実行が良かろうと思う。
言ったことは必ず実行することを常識としたい。
静かに音を立てて時を知らせる腕時計があれば便利だと思う。これが有言実行である。
でたらめな時間を知らせて、自他に迷惑と損害を与えるのが有言不実行である。
経済の真意経国(国家経営)と済民(人民救済)−これを経済と略称している。近頃では経済人と言えば、銀行家、資本家、事業家など、政治や福祉事業には直接タッチしていない人たちをさしているように思う。いわゆる経済人が、経国済民を忘れて、それぞれの事業の利益に没頭するあまり、経済の真の意義が失われるようになったのではあるまいか。経済人たるもの、本来の姿に立ち返るべきである。
『敵を知り己を知れば百戦危うからず』という。人生行路も同じことで、自分を知らなければ人生をまっとうすることは出来ない。
己を知るということは本当にむずかしいことだが、その秘訣は自分が今こうして生活しているのは、自分の力ではなく、先人の努力の積み重ねと社会のおかげである感謝し、謙虚な心になることである。 傲慢と、思い上がりは身を滅ぼす悪魔である
部屋の掃除、家具の手入れが行き届いていれば、その家の主婦の人柄がしのばれるし、家屋も家具も長持ちする。
私たちの体も同じように、毎日掃除、手入れを怠らなければ健康で長生きもする。
さらに大切なのは心の手入れである。私たちは、このことに無関心、無頓着すぎるのではないでしょうか。一人一人が心身の手入れをすれば社会は自ずから健康になり、きれいになる。
デンマークの旅で、ある村役場訪れたところ、村長と収入役の二人しかいない。ぞれで全員だという。
年間五,六千万円の予算で、大部分が土木費。工事は見積もり通り業者に請け負わせ、監督なしでりっぱにできあがるという。
監督なしで大丈夫かと聞いたら、村長は笑って「業者は専門家ですよ」と言われ恥じ入った。業者は正直で責任を持つ、これがデンマークの常識である。
美しい花とおいしい果実は、万人の等しく喜び好むところである。花も実も、良い根がなければ生まれない。良い根幹は良い土壌からでなければできない。これは平凡なわかりきったことではあるが、多くは花と実を得るのに急であって、土壌を作ることを忘れがちである。
農業をはじめ、各産業、政治、教育、社会改造に至るまで、この道理をかみしめ実施すれば誤りはないのだが、花や実を得ることをあせり根本を忘れるので失敗するするのである。
すみからすみまで掃除が行き届いている家庭やホテルでは、ごくわずかのゴミでも気になり、目立つものである。磨けば磨くほどわずかのシミが目につく。人間の心も同じである。修行を積めば積むほど心の汚れが見えるから、さらに修行を積み、心のシミ取るのだ。
ろくろく掃除もせず、汚れるままに放置すれば、よほどの汚れもきたなさも気にならず、平気で寝起きするものである。世の中もこれと同じである。
心のゆとり
人は非常の事態に遭わねば真価はわからぬ。誰でも生涯には幾度か進退に迷うときがある。
人の価値は、そういう場合の出所進退にありといっても過言ではない。平常はりっぱなように見えても、非常の時に進退を誤る人がある。
それは心にゆとりがないからである。ゆとりを持つには,無私でなければならぬ。無私はその人の生まれつきもあるが、絶えざる反省と修養で得られるものだ。