できる親切はみんなでしよう それが社会の習慣となるように

「小さな親切」運動静岡県本部

SMALL KINDNESS MOVEMENT SHIZUOKA

「小さな親切」運動は、茅誠司氏の東京大学での卒業告辞をきっかけにスタートしました。

〈茅誠司初代代表の講演録(抜粋)より〉

「小さな親切」運動での提唱 -東大卒業式での告辞-

茅初代代表

私は、昭和38年の12月に東大の学長を辞めるのですが、38年3月28日に行った最後の卒業式で、私は「小さな親切」という告辞を致しました。つまり、やろうと思えば出来る親切をやって下さいと言ったのです。
例えば、「おはよう」と言ってあいさつする人もいないのではないですか。会ったら、「おはよう」と言うぐらい何のことはない。皆で言おうじゃないか。それがお互いに伝わっていく。つまり、伝染するんだ。「おはよう」と会えば言える社会に、皆さんが中心になってして下さい。その伝染の芽になって欲しい、という話を長くやったのですが、その話は、学生の評判が極めて悪く、うちの学長はいつの間にか幼稚園の園長さんになってしまった。あれは幼稚園の子どもに言うことで、大学生に言うべき言葉ではない、とひどく厳しい批判を受けたので、私はいささか悲観しておりました。

ある東大生の「小さな親切」の実践

ところが、それからしばらくして事件が起こったのです。淡路島の洲本中学の3年生が20名ほど東京へ修学旅行にやって来て、東京大学の大学病院入口あたりに2、3軒大きな宿屋がありますが、その宿屋のどれかに泊まりました。
そうして、先生が「今日は後楽園球場で巨人・阪神戦がある。君たちのあこがれの野球だから見に行こう」と言ったら、子どもたちは大変な喜びようで、先生について歩いて12、3分のところにある後楽園球場に行きました。そこで、彼らは野球を堪能したようです。
その試合を見た後、みんながそれぞれ宿屋に帰りました。ところが、なにしろ初めて東京に来たのですから、ちょっとした所でも道が分からなくなって、10時になっても二人の男子生徒が帰ってこない。先生は心配で青くなって、皆でどうしようかと相談していました。
するとそこに電話がかかって、「あなたのところの子どもを二人、東京駅の近辺で見つけたので、これから送って行く」という内容のものでした。
それからしばらくして、二人の男子生徒が、一人の大学生に連れられて帰って来ました。その大学生は、東京駅近くで、二人の不審な子どもがうろうろしているので、「君たちどうしたんだ」と尋ねると、子どもたちは「後楽園球場からの帰りに道が分からなくなったので、タクシーに乗り、宿屋の名前を言ったが場所が分からない。タクシーの運転手に東京駅まで連れて来られて、そこで降ろされどうしてよいのか分からないで困っている」と言うので、二人に宿屋の名前を聞いたがどうもはっきりしませんでした。
大学生は、そのあたりの宿屋を2、3軒知っていたので、次々に電話して子どもたちの泊まっているところが分かったので、連れて来たということでした。先生は喜んでお礼を言い、名前を聞いたが、ただ東京大学農学部の学生だと言って帰って行きました。
そして、そのことが新聞に記事として載ったのです。
それからしばらくしますと、私のところへ洲本中学の生徒から13通のお礼の手紙が来ました。そのうちの11通が女の子からの手紙で、内容は、「私たちは修学旅行で実に多くの収穫を得ましたが、その中で一番大きい収穫は、あの東大農学部の学生がされた『小さな親切』です。私たちも一生この『小さな親切』を実行していきたいと決心しました」というものでした。

「小さな親切」の実行と拡がり

この「小さな親切」の提案は、当時の新聞―特に週刊朝日の荒垣秀雄さんという天声人語の欄をよく執筆されている人ですが、あの方に認められて、天声人語にこれを紹介され、さらに週刊朝日に私どもの対談が掲載され急に評判になってまいりました。その内容は、何とかこのような「小さな親切」を実行する運動をしようじゃないか。つまり、やろうと思えば出来る親切を、社会の習慣になるまでやろうという運動を興そうではないかというものでした。
最初は、2年だけやろうということで任意団体でスタートしたのですが、当時会員の募集がなかなか思うように進みませんでした。それが17年目を迎えた現在では、全国の会員数は137万名ほどに増えてまいりました。
なぜ会員などを集めるのか、そんなことは黙ってやっていればよい、という意見がほうぼうにございます。その通りだと思います。だが、自分は「小さな親切」運動の会員だということで、バッジを着けておりますと、道で紙くずは捨てられない。ありがとうと言うべきところで、ありがとうと言わなかったら恥ずかしいことになる。私は「ありがとう」という言葉を必ず言おうと決心し、今日まで行ってきております。
日本では言いませんが、外国では「サンキュー」と言えば必ず「ユアウェルカム」と言います。どんなところでも「ウェルカムと」言う言葉が出てきます。日本でもやはり、言うべきであると思います。私は、先方で何も言わなくても、こちらでは必ず「ありがとう」と言い続けようと思っているのですが、急いでいると言うべきところで忘れることがあります。
一例を申し上げますと、私は神奈川県の厚木高等学校の同窓会長をしておりますが、その卒業式に出席するため、小田原駅で降りたところが時間が無いので早くタクシーに乗りたい。けれどもタクシーがどこにいるか分からない。うろうろしていると「先生、タクシーでしょう」と言われたので、「はい、そうです」と答えたら、「あっちですよ」と教えてくれました。急いでそれに乗って行ってどうにか間に合ったのですが、家に帰ったら手紙が来ていて「あなたは、私に『ありがとう』と言う事をお忘れでしたね」と、すっかりやられてしまいました。
やはり、そういうときも忘れないだけの心構えをもっていることが必要だと、つくづく思ったのです。

あいさつは心のふれあい

私は、東京に高速道路が出来て、それが私の故郷の方の東名高速道路につながったときに、そのインターチェンジに行きました。ところが、そこの入口でお金を払うと、「ありがとうございます。お大事に」という大変丁寧なあいさつを受け、すっかり感激して、それを心に留めていました。それから一ヵ月経ってそこへ行きましたところ、また別の人からやはり、「ありがとうございます」と言われました。非常に感激してそれを朝日新聞に載せたところが、次の日から東京中の首都高速のインターチェンジ料金所職員の半数ぐらいの人が「有難う」と言うようになり、黙って受け取る人は少なくなりました。しかし、若い人の中には、まだお金をひったくるように受け取る人がおり、そういう人が全部いなくなったということではありません。

君は君、僕は僕、だが仲良く

私は、物理学をやった人間です。それで、日本学術会議の会長をしている時に、日本でも原子力の問題を考えなければいけないと言い出したのですが、そういう原子力の問題に関心を持った関係で、広島の原爆に関するアメリカの研究所(A.B.C.C.―原爆傷害調査委員会)の顧問になりまして、そこに行った時のことです。
そこの所長をしておられるダーリングさんという大変立派な人ですが、その方のお宅を訪問した時のことです。応接室に日本の色紙が飾ってあり、よく見ると、それは武者小路実篤先生の書かれた色紙でした。きゅうりとなすの絵が描いてあるのです。そして、「君は君、僕は僕、だが仲良く」とありました。私はすっかり感心しました。
つまり、その絵の意味は、きゅうりはきゅうりの味を持ち、なすはなすの味を持ち、同じ野菜でも違っている。それぞれがそれぞれの味というものを持っているが、だが仲良くやっていくということです。
人間もそうなんです。人間は自分というものを持たなければならない。それぞれが違った個性を持ちながらも、不和雷同しないで、だが仲良くやっていく。この社会を形成していくためには、仲良くしていかなければなりません。
仲良くと言うことは、これはまた大変難しいことです。哲学者の間でも議論があります。京都大学の西田幾太郎という先生は、だが仲良くという本当の精神は、古今東西を通じて、時が経っても、場所が変わっても、伝統が変わっても、価値観が変わっても、それは不変のものであると言っておられます。それに対して、広島大学のやはり哲学者の西という先生は、時代が変わり、文化が変わり、価値観が変われば、その物自体は変わっていくはずである。そういう考えを持っておられたようです。
私は、どっちがどっちということは申し上げません。けれども、「小さな親切」というのは、だが仲良くと言う社会を実現するためにはなくてはならない必要な条件であると思います。「小さな親切」という行為がなくては、仲が良くなるということはできません。
しかし、「小さな親切」だけが全部であるかということについては疑問であって、それは果たして西田幾太郎先生がおっしゃるように、どこに行っても、価値観が変わっても、人が変わっても、民族が変わっても変わりのないものであるかというと疑問があります。やはり、西先生の説のように「小さな親切」的なものは、時代により、価値観により、民族により、歴史により変わってくるものではないでしょうか。
しかし、その奥にある本当の「和」の精神、仲良くというその本当のものは、変わりないはずであろうと、私は思います。

「小さな親切」の本質

その後、私は北海道のあるとこでこのような内容の講演をしましたところ、ある女子大生が質問に立って、「先生のおっしゃる『小さな親切』運動は、あまりにも形式的であり、やろうと思えば出来る、とういうことばかりだ。それだからなかなか発展しないのではないか。もっと本質的なものを考えたらどうだろうか」と問題を提起してきました。
私も、そういうことも考えていた時ですから、それをまともにとらえて、「私は、実はそこがよく分からないのです。ついては、あなたにうかがいますが、この『小さな親切』は形式的なものとおっしゃったが、あなたは何をやっておられますか」と聞きますと、「私は何もしておりません」と言うので、「そうですか。何もしていないとそれきりじゃありませんか」と尋ねると、「そうなんです」と答えました。「私の『小さな親切』というのは、やろうと思えば必ず出来る。難しいことは言わない。そういうことをやっていると、本当のものが何かということがだんだん分かってくるんじゃないか。そういう気持ちなんです。私はまだ何が本当かということをつかんでいませんが、この問題は他人から習うべきものではなくて、皆さんが、その実行を通じて自分でつかまなければいけないことではないでしょうか」と申しますと、彼女は納得してくれました。
今でも私はそう思っています。それで「有難う」ということだけは、どんな場所へ行っても、忘れないで言おうと心掛けてやってきております。

「小さな親切」が人格をつくる

よくボランティア活動をせよ、という話が出ます。ボランティア活動も「小さな親切」も結局は同じことであります。つまり、誰からも命令を受けないで社会のためにつくすということであります。
老人ホームを訪れて、その方々を慰めるとか、あるいはそこの掃除をしてあげるとか、それは皆さんが老人の方々が喜んで下さるから、老人の方々のためにするんだとお考えかも知れません。
けれども本当は、そういう心によって、皆さんが自分というものをつくるということなんです。それによって、皆さんがつくられていくのであります。老人のためにやることは即ち、自分のためなのです。そういう本当の意味をよく理解されて、ボランティア活動をされることを皆さんに希望するのであります。
ボランティア活動については、大変難しいことを主張する人もおりますが、容易なことでも、自分の一生を通じて行っておれば、心の中に自然に会得されてくるものです。こうしたことが、この「小さな親切」運動では大事なことであると私自身は考えておりますので、皆さんのご参考に申し上げてみたいと思ったわけであります。
もし、私の考えにご賛成でございましたら、何か一つを選ばれて、例えば、紙くずは絶対に捨てないということだけでも結構ですから、それを必ず実行される。そして、胸に「小さな親切」の記章を着けた以上は、紙くずは道には捨てないんだ、という考えに立って続けていただくということをお願いして、私の話を終わらせていただきます。